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小閑記
その日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。
=ピリピ1:6=
信仰のスランプと言う言葉を聞くことがあります。神様はもはや私について、イヤになったに違いないと言う思いが、時にキリスト者の心に襲いかかることがあります。キリスト者の願いはその様な状態からの脱出でありますから、祈りに専念しようと決心いたします。
しかし、そのような思いと願いは叶うこと少なく、むしろ、迷いが募り、疑いが生じるものでもあります。私たちキリスト者は、その長い生涯を、そのような時に、「さあやっと悪に勝てた」と言える進歩があっても良いのではないかと思うときもあります。
しかし、それどころか、私たちは何度も何度も同じ祈りを繰り返し、願わなければなりません。本当にこれで良いのでしょうか・・・。また、すべてのことが罪人の私なのだから、と言う疑いや考えに陥るのも現実です。
このような信仰に陥った時、今一度思い起こすことがあります。でたらめな生活をしていた時に、私たちを探して見出してくださった方が、そのような状態から救い出して下さった方が、どうしてお見捨てになるかということです。主は、私たちが神様に呼び出される前に、私たちがどんな者であるかをよくご存知でした。
ですから、決して主は、私たちをお捨てにはなりません。主は、私たちのように心変わりするようなお方ではないのです。あくまでも、神はそのご意思と目的をもってお召しになったのであって、私たちが優れてよい者であったからではないのです。
神の愛が、聖霊の働きが信仰の成長・完成へと導いて下さるのです。
「新しく造られた者よ」
新しく造られた者よ 御神の新しき御声を
心開き聴いてから 新しき一日を始めよう
新しく造られた者よ 御神の新しき御愛を
心深く受けてから 新しき一日を始めよう
新しく造られた者よ 御神の新しき御旨を
心静めて知ってから 新しき一日を始めよう 水野源三詩集から
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」