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今月のことば
あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。
=ガラテヤ3:26=
時々、ある日の出来事が、思い出されます。それは、ある朝早く、窓を開けると、その窓枠の上に、一匹のこがね虫が横たわっていました。それは、昨夜群を成して飛んでいたときに、網戸にぶつかって落ちたのでしょうか。今そのこがね虫は、お腹を上にして横たわり、日光に照らされて、こわばっていた体が元気付き、飛ぼうとしているときでした。しかし、その脚は空をつかもうとしても、どうにもならない様子でした。お腹を上にして横たわっている限り、どんなにもがき脚を動かしても、どうにもならないのです。
何かにつかまるか、支える物が外から手の届くところまで近づくか、移動してきたときに、はじめて、そのこがね虫は立ち上がり、飛び立つことができるからです。
そっと小枝を添えてやりました。
私たちも、似たような経験を日々繰り返しているように思えるのです。人は様々な努力をします。手足を動かし、知恵を働かせています。しかし、私たちのお腹は上を向いているのです。そこに何かがありそうだと思い、手足を動かしているのですが、私たちの手足は、何とも短すぎるのです。しかし、それに気付いていないのです。
幸いなるかな。上の方から、天の、神様の方からの窓が開かれ、支えのみ手が差し伸べられるのです。小枝ではなく、神様の方から、一つの慈しみ深く力強い手を差し伸べてくださるのです。私たちはその手を確りと握り締める時が今なのです。ですから、今を逃すことなく、大切にしようではありませんか。この神様からみ手こそ、私たちを支えてくれる唯一の手、救いの手なのです。十字架の愛の奥義と恵みを深く、深く知ろうではありませんか。
「あなたの右の手はわたしをささえられる」(詩篇:8)。そして、この救いの手が永遠のみ國へと導いて下さるのです。この信仰こそ、神の子の証です。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」