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「あなたに聖書を」
「キリスト教百話」・・・39
問21 キリスト教でいう「救い」とはどういうことでしょうか。・・4・・
答・・6 キリストは「あなたの目が罪を犯させるなら目をくりぬいて捨ててしまいなさい」といわれました。同様に「あなたの手や足が罪を犯させるなら、切り取ってしまいなさい」とも言われました。宝石泥棒や強盗などは目が見えるからすることです。「他人の目の中にあるおがくずはよく見えても、自分の目の中にある丸太棒が見えない人」の目は取り替えてもらう必要あるのではないでしょうか。指先の器用な人間が、スリや金庫破りをするのです。頭の良い人が、巧妙に人を騙すのです。口の達者な人が、口下手な人の口を封じてしまうのです。耳の良く聞こえる人は、噂話や他人の悪口がすぐに聞こえて来て同調するのです。そして、人にもそれを蒔き散らします。五体満足、頭脳明晰であることが禍の元となるのです。不老長寿は幸いとされてきました。が、人生内容は問われなくて良いのでしょうか。
カネを持っていることも幸せと見られてきました。が、そのカネを得るために搾取したり、貧しい人のことなど無頓着な人の幸せとは何でしょうか。
キリストはまた「あなたの富のあるところに、あなたの心もある」と言われました。「富」とは自分を豊かに生きさせるものであり「宝」でもあります。「あなたのおたからは?」と尋ねられた時、「これです」とさし出すことが出来るものが、その人にとっていちばん大切なものであり、こころはいつもその宝に寄せられています。「子宝」とはよくいったもので、「子」が宝である人は、子によって豊かにされるに違いありませんし、いつも子のことに心が寄せられます。同様にカネ、名誉、権力、家庭、などなどを宝とし自分を豊かにしてくれる富としている人もいることでしょう。
こういう点について、次のように述べている人がいます。「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えました。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています」。
これはパウロという人が語っていることですが、この人が授かっている「秘訣」というのはこの人にとっての「宝」であり「富」でしょう。注目すべきは、この「富」は自己本位でなく自分に執着していないことです。前述した宝が自分に即したものであるのに比べ、この人が一番大切にしているのは、自分を超えているものです。「秘訣」であり「授かっている」ものです。
とらわれている自分から解放されている人であることがうかがえます。聖書が言うところの「救い」というものが、こういうことが言えるようになることの中にあることを、先ずは知っていただきたいのです。要するに、この世とその中にある自分に即して生きている自分でない、新しい自分とされている「秘訣」を授かることにあります。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
<2016年3月のラジオ放送予定>
3月 6日 木下裕也 (日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
13日 木下裕也 (日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
20日 梶浦和城(日本キリスト改革派春日井教会牧師)
27日 梶浦和城(日本キリスト改革派春日井教会牧師)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」