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小閑記
彼は必ず栄え、わたしは衰える。
=ヨハネ3:30=
努力する姿は美しいものです。そこには素直さがあり、真摯な心を見て感動もいたします。しかし、そうでないことも事実です。イエスの救いに招かれる前には、善くなりたいと願って事に励みますが、実際は失敗に終わります。前進したいと試みると、いつでも道は閉じられてしまいます。
何事でも私たちが望んだり、得たいと努力するものとはまるで反対になってしまいます。自由になりたいともがくと、一層からまれ、上に登りたいと願う時に、坂を滑り落ちてしまいます。
どうしてなのでしょう。何か理由があるはずです。それは、神のみ霊が私たちの目を自分からそらさせて、失われた者を救ってくださった主イエスへ向けるまでは、解決は見出せません。私たちがキリストを、神のみ前に、あなたこそ全てであると信じた時、救いと平和の時が来ると聖書は語ります。その時に「彼は必ず栄え、わたしは衰える。」の意味を悟るのです。
私たちは神様から命を頂くばかりでなく、それに生きなければなりません。神様のみ前で、「命への門・道」は狭いことを学びました。しかし、今、信仰者としてその道は細いことを学ばなければなりません。辛く苦しい道になるでしょうが、生き、進まなければならないのです。古い罪の自分は衰え、新しいキリスト者は栄えるのです。そのために神様は、私たちを新しい苦難へと導き、私たちはそこを歩まなければならない時に、人は弱さのゆえに、留まりたくなってしまいます。自分の意志や努力で自分を奮い立たせることは出来ないのです。
その時、私たちを自負心から解放し、全ての希望と力が、ただ、キリストへの信仰にあることを知るのです。望みは主イエス・キリストの十字架の死とよみがえりにあるのです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」