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「あなたに聖書を」
「キリスト教百話」・・・40
問21 キリスト教でいう「救い」とはどういうことでしょうか。・・5・・
答・・7 ヒトラーは「ユダヤ人は生かしておいてはならない」という考えで、数百万人を殺しました。そういう考えに捕らわれていたからです。もちろん本人は捕らわれていたとは思っていなくて、そうすることが正しいと信じていたのでしょう。そういうことから言うと、「正しいと信じていること」の問題性を思わずにおれません。他人事ではありません。わたしたちの国日本においても、日中戦争が始まって以来、「必ず勝つ」という信念を持っていました。
「いざとなったら神風が吹いてきて敵をやっつける、何と言っても日本は神国だから・・・」と信じていました。そういう「共同幻想」に捕らわれていたと言えるでしょう。こういう信念というものは、固ければ固いほど、内部結束という閉鎖力を強め、それとは違ったものを排除する強い力となって働きます。
「必勝の信念」をもって「一億一心」となった、かつての日本が、異常な力を発揮したのは、こういう点で納得出来ます。しかし、その力は、本来発揮されてはならないものに捕らわれていたからであって、その捕らわれから解放されることこそ、必要なことではなかったか、と思うのです、捕らわれるなら、むしろ「すべての人が生かされなくてはならない。そのためには絶対に『殺してはならない』という信念」でなくいてはならない、と思うのです。
イエス・キリストが活動された時代のユダヤ人社会は、神から与えられたものとしての律法を厳守する信仰共同体でした。したがって、この律法を知らない異邦人はもとより、ユダヤ人であっても律法に沿わない生き方をしている者は、神の祝福に預かれない者として排除されました。この限りにおいて、神は律法を厳守する者だけを受容する閉鎖的な神となってしまう傾向を帯びることになりました。もちろん、神は閉鎖的な方ではなく、すべてのものを祝福の対象とされている方でありますが、この神を閉鎖的な神のように仕立てたのは、律法主義という、信仰についての枠付けをしてしまった人間でした。そのトップを切る担い手がパリサイ派と称せられた律法厳守主義者たちでした。
イエス・キリストの言動は、以上で述べたように、神は全ての人を、そのあるがままにおいて受け入れて、差別したり排除したりする方でないことを明らかにするものであり、しかもそれが律法の本来の精神に沿うものであることを明らかにすることとして、なされました。そういうことを宣言し、そのような事実に生きることをもって、人間が造り出していると考え、もっと言うと人間自身の内にあって人間を支配しているものからの解放を意図されたものでした。
聖書が言う「救い」とは、この人間が、人間が抱いており、また人間が造り出している人間をその中に閉じ込めているものからの「解放」を言うのです。人間を超えた神の御心に即して生きるようになる、これが「救い」であります。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
<2016年4月のラジオ放送予定>
4月 3日 横山良樹 (日本基督教団半田教会牧師)
10日 横山良樹 (日本基督教団半田教会牧師)
17日 阿部 啓 (日本基督教団豊橋中部教会牧師)
24日 阿部 啓 (日本基督教団豊橋中部教会牧師)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」