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ビルマ
戦犯者の獄中記 (61) 遠山良作 著
昭和22年
―タキン党事件の裁判の状況―・・9・
―落下傘諜者を追跡して・・2・・
現場はイエ町より5キロ程北方の部落である。村長たちの案内で落下傘を発見した場所に行った。そこは部落のはずれにある見通しの良い原っぱであった。発見した現地人の話によると、「当日農作業のため、たまたまここを通りかかるとあの木の枝に落下傘が引っかかっていたので村長に届けた」と高さ10メートル位の木を指差して説明してくれた。
現地附近に何か遺留品らしきものが落ちていないかを捜索したが、それらしいものは見付けることは出来なかった。しかし現場の状況から判断すると、確かに英軍の飛行機から何者かが降下したと判断されるが、ただ落下傘諜者が降下したならばなぜ落下傘を処分しなかったのかの疑問は残るけれども諜者が潜入した疑いが濃厚であるので、附近一帯の捜索を開始した。
先ず部落民を集めて英軍の諜者らしい者、あるいは、ふだん見かけたことのない者を見た者、食糧らしきものを部落の外に運んだ者はいないか等の聞き込みを始めた。
部落民たちは「この部落(ビルマ人)を除いてこの付近一帯はすべてカレン人の部落である。きっとあのカレン人の部落に逃げ込んだ」と言うのである。
カレン人は主に山岳地帯に住み、焼畑農業(註1)に従事している少数民族である。英国はビルマを支配する政策の一つとして多数派である仏教徒のビルマ人に対抗させるために、カレン人を優遇し、キリスト教を布教したので、彼らの大部分はキリスト教徒であり、親英的である。日本軍がビルマに進駐するや英軍に従って印度に逃亡したカレン人の兵士も少なくなかったとも聞いている。
*文章の転載はご子息の許可を得ております。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」