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解説 ウエストミンスター信仰告白 (45)
岡田 稔著
(元神戸改革派神学校校長)
第21章 宗教的礼拝および安息日について・・3・・
5 敬けんな恐れをもって聖書を読むこと(1)、健全な説教(2)、神に服従して理解・信仰・尊敬をもってみ言葉を良心的に聞くこと(3)、感謝して心から詩を歌うこと(4)、またキリストが制定された礼典を正しく執行し、ふさわしく受けることは、すべて普通の宗教的神礼拝の要素である(5)。このほか宗教的宣誓(6)や誓願(7)、神聖な断食(8)、また特別な場合の感謝の祈りも(9)、それぞれの時また時期に、きよい宗教的な態度で用いるべきである(10)。
1 行伝15:21、黙示1:3
2 Ⅱテモテ4:2
3 ヤコブ1:22、行伝10:33、マタイ13:19、ヘブル4:2、イザヤ66:2
4 コロサイ3:16、エペソ5:19、ヤコブ5:13
5 マタイ28:19、Ⅰコリント11:23-29、行伝2:42
6 申命6:13、ネヘミヤ10:29(30)(*)
*申命6:13をネヘミヤ10:29(30)と比較
7 イザヤ19:21、伝道5:4,5(3,4)(*)
*イザヤ19:21を伝道5:4,5(3,4)と比較
8 ヨエル2:12、エステル4:16、マタイ9:15、Ⅰコリント7:5
9 詩107編、エステル9:22
10 ヘブル12:28
五 礼拝指針で取扱われる項目である。
個人として、また私的礼拝として、聖書の朗読、賛美、祈りなどがなされるが、ここでの「普通の宗教的礼拝」と言われているのは、集会の公同礼拝のことである。そこには礼拝の奉仕者の心得と一般会衆の心得とが含まれている。礼典については、第27章以下で別に規定されているからそこを読み合わす必要がある。
このほかには、「普通」に対する、やはり宗教的「特別」な場合の行事であるが、やはり宗教的行事である以上、すべて礼拝の精神を失わぬよう敬虔に祈り深くなすべきである。
6 祈りも、宗教的礼拝の他のどの要素も、今や福音のもとにおいては、それがなされ、または向けられるどのような場所とも結合されず、またはそれによって一層よしとされることもない(1)。かえって、すべての所(2)で霊とまこととをもって(3)、神を礼拝すべきである。すなわち個々の家庭で(4)日ごとに(5)、隠れた所で各人が自分で(6)、そのようにし、公同集会では一層厳粛にすべきである。神がみ言葉または摂理によってそこに招かれる時に、不注意からまたは故意に、公同集会を軽視したり放棄したりしてはならない(7)。
1 ヨハネ4:21
2 マラキ1:11、Ⅰテモテ2:8
3 ヨハネ4:23,24
4 エレミヤ10:25、申命6:6,7、ヨブ1:5、サムエル下6:18,20、Ⅰペテロ3:7、行伝10:2
5 マタイ6:11
6 マタイ6:6、エペソ6:18
7 イザヤ56:6,7、ヘブル10:25、箴1:20,21,24、箴8:34、行伝13:42、ルカ4:16、行伝2:42
六 ここは礼拝にとって場所は少しも差別がないことの主張で、ヨハネによる福音書4章で主イエスは礼拝の一番深い原則を、あのサマリヤの村はずれで一婦人との日常的会話の中で教えられ、「ゲリジムでもエルサレムでもない」いずこにもいます神(霊とはそういうもの)人の手で造った宮に限定されない方にふさわしい礼拝、と同時に、公同集会の尊さの主張が特記されている。個人で礼拝しているから公同礼拝に出る必要はないという考え方を戒めている。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」