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その愛のゆえに
=時々の記=
(120)
2月18日
「今日一日を頑張る」。とても励まされる良いお言葉ですね。私たち、特に主人にとって、健康で何の病もない方たちと比べて、一日がとても大切なものになっているように感じます。「今日一日」を頑張りきることができればとても感謝なことですと主人がこのように言っていました。みな健康な者も病ある者も、人生には限りがある。しかしイエス様を信じる者たちには、永遠の命がある。このことを信じて生きるときに希望が出てくると。
そのように言い切ることができる心境に感謝です。イエス様のよみがえりの事実を信じる者たちにとって、この世の限りある命は恐れることがない者となりますね。
2月20日
こちらはとても気持ちの良いお天気になりました。主人はリハビリに頑張っています。午後からは二人で台所に立って夕ご飯の準備にかかります。毎日決まった三度の食事の準備がとても大変だというのがようやくわかってくれたようで、とても協力的です。助かっています。よろよろしながら、二人で一人前とまでいかないですがの、毎日です。
2月21日
タンポポが、春を先取りしていましたが、三日程前からやっとイヌフグリが野原にいっぱい青色の花を付け始め、春がやってきたんだなと感じさせられました。これでも例年に比べると一と月は早いようです。昨日は礼拝の帰りに月ヶ瀬の梅を見てきました。ほとんどの梅がその三分の二程花を咲かせていました。多くの人たちで賑わっていましたので、車で通りすぎただけにしました。奈良市内からも観光客用に臨時バスが運行されていました。関西では月ヶ瀬の梅はこれほどに有名なのです。
そうそう、朝一番に鶯の鳴き声を聞いて何だかとてもほのぼのと嬉しくなりました。その帰り、路の端っこには萌木色のフキノトウが二つ並んで出ていました。命あるものたちの生命力を強く感じました。冬の間、じっと耐えて、寒さに負けずに土の中や、山の中で栄養を蓄えて、春の訪れを待っていたのですね
2月24日
お日様は少し顔を出してはくれたものの、一日曇り空。その上雪が舞うほどの寒さになりました。それでも今日は家の竹藪からちっきょ、ちっきょと鳥の鳴き声がするのです。主人になんていう鳥なのだろうとたずねると、鶯の鳴き声だというのです。小鳴きといって、まだごく最初の鳴き声のことを言うそうです。こんな我が家の竹藪にまで鶯が春の訪れを伝えに来てくれたのかと思うと胸がいっぱいになりました。小さな小鳥たちや、野の生き物が精一杯生き抜いているんですね。
春眠の豊かさ祈り捧げけり。
日当たれば雑木の白く山笑ふ。
蕗のとう野山は愈(いよよ)復活す。
宇陀の野の棕櫚(しゅろ)堅固なり右近の忌。
春の空こそ御国なれ晴れ渡る。 馬場路哉
3月7日
こちらはとても暖かくなっています。先日まだ蕾だったフキノトウはもうグーンと大きくなってびっくりです。
穏やかな信徒の声やイースター。
み許しを祈りし人の絵踏かな。
津の海は大反射盤春日濃し。
聖書手にチャペルを出でて卒業す。
主の近く侍らむ人やイースター。 馬場路哉
3月8日
奈良では東大寺のお水取りが12日に最終日を迎えます。お水取りが終わって初めて、春の暖かさが本格的になるといわれています。昔の人は節目節目で季節を感じ取っていたのですね。今年はイースターが三月下旬ですから少し早くやってくるのですが、墓前礼拝もコートなしで大丈夫かもしれませんね。
イースターを迎える時期になるとやはり母のことを強く思い出します。母が最も好んでいたのがこのイースターだったからです。日曜学校ではイースターの讃美歌をよく教えてくれたのでした。”つくしの様にすくすくと主エスの子供よ伸びていけ”や、”山も野辺も空も”などなど。懐かしい思い出がよみがえってきます。
瞭然と春めく山河色と音。
樫の木の多き在所に風光る。
一望す布引の山梅匂ふ。
牡丹雪猿入る森の出で湯かな。 馬場路哉
馬場暁美
「上野緑ヶ丘教会会員」
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」