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今月のことば
「自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない」。
~へブル12:14~
高校生時代に読んだ民族学の本の中に、その地に住む人々のシンボルとして、いろいろの壁画や木彫りの成り立ちが書かれていて、その時の感動は今も覚えております。美的鑑賞能力に乏しい私にはよくわかりませんが、日々の生活の記録とともに、精神的な意味合いを感じたものです。それが木や石であっても深い精神性と宗教性を持つものであることは理解していたように思います。
人は、そこに何かを見出さそうとしたのでしょう。「今月のことば」の聖句はそれを明確に私たちに示しているのではないでしょうか。
私たちは、「自らきよくなるように努めなさい」と言われているのです。そのために戦い、苦慮しなければならないことは確かです。何を願い求めるかは人それぞれでしょうが、聖書が求めていることは私たちに、求めることを明白にしています。それを追い求めることには意味も意義もあります。なぜなら、「自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない」からです。
「主を見る」ためには「きよく」ならなければ見ることはできないとありますから、それに気づくなら、そのために自らの生活の中で役立つと思えることに励むでしょう。しかし、私たちはどこまでも不完全であり、罪人であるという自覚を持ってのことです。この自分を知ることからスタートするのが信仰への求道の道であります。知識や経験で得るものではないことも事実です。自らの努力や修行で得るものでもないのです。
しかし、そこに神の愛を知るなら、「主を見るのです」。神は私たちのために、神のその御子の贖いをあの十字架のキリストにお示しくださいました。「主を見る」とは、あのみ姿を見、追い求めるもので、ただ、ここにこそあると信じ、認めることです。導き手である聖霊はこの願いにお答えくださいます。ここに望があるのです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」