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心に憂いがあればその人をかがませる、しかし親切な言葉はその人を喜ばせる。
~箴言12:25~
私たちの日々は情報や文字・言葉の中で生活しております。しかし、それが有益とは限りません。きれいな言葉であっても毒もありますし、言葉が凶器にもなります。文字を持たない人々もおりますが、情感豊かな言葉で自然を歌い上げ、こころ豊かにさせも致します。
「親切な言葉は人を喜ばせる」。そのような言葉はあるのでしょうか。自分に問いかける時、言葉を失います。しかし、無言でいることはできません。出来ることなら、親切な言葉、人に希望と勇気と喜びを伝えたいと思います。母親はわが子にかける言葉は美しいもので、誰もが持ち合わせている言葉であり、思いと言えます。
しがし、人を罵り侮辱し、差別の言葉で償いきれない傷を負わせていることも事実です。主よ、私には償い切れないほどの数で、意識・無意識的な、悪意に満ちた言葉を口にいたしました。どうかお許しください。お導きください、と祈ります。勇気をもって親切な言葉を語れるようにしてください。言葉だけでなく親切な行為へと導いてください、と祈ります。
神様ご自身は、私たちに対して沈黙したままのお方ではありませんでした。神様が私たちに語られる愛、優しさは何と大きいことでしょう。キリストが「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものである」(マタイ4:4)とお語りになりましたが、この神の口から出るお言葉を言葉としてだけではなく、神様のなさった行為と共に示されたことを知るとき、言葉にならない喜びに満たされるのです。
神の言葉は愛であり、力なのです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」