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「ローマ人への手紙」研究」
第73課 キリスト者生活の実践的義務
=12:1~15:13=・・・18・・・
B キリスト者の市民的義務・・・1・・・
13:1~7・・・1・・・
「上にある権威に対する服従」・・13:12~2・・1・・
第1節のギリシャ語は、「権威」と訳されるべきで、「力」とか「権力」とか訳されるべきではありません。力と権威とは同意ではありません。かつて、米軍の元帥が共産軍の捕虜たちに誘拐されたことがありました。この将軍は共産軍の手中にある間は、権威はあるけれども権力はないのです。共産軍は、この場合、権威はないけれども権力は所有しています。銀行で銃を構えている容疑者は、力はあるけれども権威はないのです。これを逮捕しようとしている警察官は権威と権力を共に持っていると言えます。このギリシャ語は単なる権力とか力とかの意味、すなわち、ある意味において、また、ある領域において承認された権威を意味しているのです。
この語は、常に、その最も高い意味における正当な権威、すなわち、神がそれを裁可され、その律法に合致する権威を意味するとする主張が試みられてきました。しかし、そのような試みは、権威と言う語の用法をよく検討する時に、誤りであることが分かりました。この語の用法は新約の中におけるサタンとその王国についても用いられているからです。
幾つかの例を挙げると、いずれの場合でもギリシャ語の権威の訳として、英語では力、日本語では支配・権力・権威が使われています。ルカ22:53「今はあなたがたの時、また、やみの支配の時である」。使徒26:18「彼らをやみから光へ、悪魔の支配から神のもとへ帰らせ」。エペソ2:2「空中の権をもつ君すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って」。エペソ6:12「わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威とやみの世の主権者」。コロサイ1:13「やみの力」。コロサイ2:15「もろもろの支配と権威との武具を解除し」。黙示13:4「龍がその権威を獣に与えたので」。黙示13:5「この獣には、また、大言を吐き汚しことを語る口が与えられ42か月のあいだ活動する権威は与えられた」。黙示13:7「そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた」。黙示13:12「先の獣の持つすべての権力をその前に働かせた」。
これらの例から、このギリシャ語は、神の律法に適合する権威に限定されるものではなく、サタンの権威にも用いられているのです。
従って、ローマ13:1「すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである」という日本語口語訳も、新改訳も、新共同訳も適正です。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」