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「ローマ人への手紙」研究」
第73課 キリスト者生活の実践的義務
=12:1~15:13=・・・19・・・
B キリスト者の市民的義務・・・2・・・
13:1~7・・・2・・・
キリスト信者は、上なる権威に服従するよう命じられているのです。さらに、パウロは「神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである」と述べられています。私たちはこの言葉の意味を考えなければなりません。
神は全ての権威の究極的根源であられます。両親が子供の上に権威を持つのは、その権威が神に由来するものであるからであり、為政者が権威を持つのも同じ理由からです。このことは正当で道徳的な権威についてばかりでなく、サタンの権威についても言えるのです。ヨブ記を見ると、サタンは神より与えられている権威の外には、何らの権威も持っていないのです。或る意味において、神はサタンに与えていると言えます。
新約では、サタンとその王国の権威について語られています。サタンが如何なる権威を持つにしても、それは神より来ているのです。もちろん、このことはサタンのなすことが神を喜ばせ、神の律法に調和しているという意味では決してありません。
復活後、イエスはその弟子たちに言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた」(マタイ28:18)。これは最高の道徳的意味における権威です。それは神に喜ばれる、神が承認される、神の律法に調和する権威です。他方、黙示録13:5は、海から上がって来た獣に与えられた権威について語っています。この権威は、究極的には神に由来するものですが、邪悪で不道徳で神の律法に反するものです。 J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」