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さんびか物語・・・28・・・
(広く愛唱されている50曲)・・・27
ポ―リン・マカルピン著
(米国南長老教会婦人宣教師)
讃美歌286番
神はわがちから
<神様のみ言葉>
「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け」。
~詩編46編1節~
この讃美歌286番は、「全き信頼」をテーマに歌い上げた素晴らしい讃美歌の一つであります。この讃美歌の主題は、どのようなことがあっても、神様は私たちの信頼にお答えになる、唯一の避け所、まことの力でいましたもうということであります。ですから、霊的に貧しい現代人にとって、この讃美歌は、希望と大いなる励ましと慰めとを与えるものと信じます。
この歌詞が書かれた18世紀前半のイギリスは、今日の社会と同様に、霊的にも信仰の面においても、道徳的な面においても、堕落の一途をたどっていた時代でした。このような時に、イギリス人に、再び真の避け所である神様に立ち返らせようと、世の人々に呼びかけた一人の作者があらわれました。アイザック・ウオッツであります。
作詞者アイザック・ウオッツについては讃美歌138番でもご紹介いたしましたが、彼は1674年7月17日、サウザンプトンに生まれました。アイザックの両親は、プライベート・スクールを経営し幼い子供たちを養育し、非常に信仰深い夫婦でした。
父のエノク・ウオッツは英国国教会の反対者で、信仰のために数回にわたって投獄されています。アイザックは8歳の時から詩才に恵まれていたのでしょうか、詩を書き始めると同時に、高等学校時代には、ギリシャ語、ラテン語、ヘブル語に優秀な成績であったとも言われています。
彼の才能を知ったサウザンプトンのある医者は名高いオックスフォードかケンブリッジ大学で勉学できるようにと奨学金を受けることを奨めましたが、それを辞退しました。辞退した理由は、当時の両大学の入学資格の一つに、英国国教会の信者でなければならないという条件があったからであります。
彼は非国教会の私立ストック・ニューイントンにあった大学へと進み、卒業後の2年間、自分の家に帰って、600ほどの素晴らしい讃美歌を書いています。それらを集めて、1707年Hymns and Spiritual Songsと題して出版しました。
この讃美歌は、イギリスの創作讃美歌集の最初ものであるばかりでなく、内容においても、旧来の詩編歌の型を破って自由な新しいユニークなものでした。当時の讃美歌は、詩編の言葉そのままを用いていましたが、彼は、詩編の本来の意味をそこなうことなく、詩編の生命的な意味を十分に生かした聖書の言葉を用いているところに、彼の特殊性があります。
彼は、1702年にマーク・レイン教会という大きな教会の副牧師として迎えられ、10年間牧会に全精力を注ぎました。しかし、以前より虚弱であった彼は、1712年病に倒れ、終生病の人となったのであります。病の中にあった彼は、マーク・レイン教会の会員であった、アブニー卿が彼を別荘に招いたのが縁で、その家の客となり、終生、その家の客として(36年間)そこで過ごし1748年に天に召されました。
36年もの長い間、彼の世話をしたアブニーご夫妻は、アイザックの信仰に、深い尊敬と愛とをもっていたのでしょう。この恵まれた環境にあって彼の才能はより一層発揮され、神学、哲学、論理学、天文学、地理学という広い範囲にわたって、60ほどの著作を残しています。彼の影響は、イギリスの教会は言うにおよばず、アメリカでも深いものがあります。
1954年版の讃美歌には、彼の書いたものが17曲ありますが、日本の教会で広く愛唱されているのは、286番のほかに138番、142番、330番があります。ともあれ、アイザック・ウオッツは「イギリス讃美歌の父」と仰がれた偉大な人物でした。
讃美歌の曲DUKE STREETについては、次のような話があります。
この曲は、最初、ヘンリ・ボイドによって発表された讃美歌集(1793年)の中に作者不明として発表されました。その後、この曲がジョン・ハントという無名の一信者の作であることが明らかになり、ハントが住んでいた町の名前であるDUKE STREETが曲名になったそうであります。この曲は、英米人、特にアメリカ人が愛唱し、1820年にアメリカに紹介されて以来、このメロディーは、いろいろな歌詞に用いられて多くの人々に知られるようになりました。
<286>
1 かみはわがちから わがたかきやぐら
くるしめるときの ちかきたすけなり。
2 たとい地はかわり 山はうなばらの
なかにうつるとも われいかに恐れん。
3 かみのみやこには しずかにながるる
きよき河ありて み民をうるおす。
1節から3節までは、詩編46編にもとづいていますので、聖書のみ言葉と比較しながら学びましょう。
聖書の詩人が歌っていますのは、「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。・・・川がある。いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる」(詩編46:1~4)と記されています。
1節では、作者は同じように、“神はわが力、わが高きやぐら、苦しめるときの近き助けなり„と歌っています。
高慢な人は、いつも自分自身をたのみとするもので、信仰などは弱い者、病人のためのものに過ぎないと思っています。しかし、人には、かならず、悲しみや苦しみが襲ってきます。自分の力ではどうにもならないその時、どこに逃れ、どこから苦しみや悲しみに耐える力を得ようというのでしょうか。この世の知恵にでしょうか。そこにはありません。
その知恵と力は“まことのより所である神様から„与えられるのであります。この生ける神様のほかに、助けてくださるお方はおられません。
2節では“たとい地はかわり、山は海原の中に移るとも、われいかで恐れん„と歌っています。あなたは、天変地異の異変に出会う時、どのようにお考えになりますか。“われいかで恐れん„と歌うことはできますか。自然の災害は、人の知恵や力ではどうすることも出来ないものと、あきらめますか。作者も詩人も共に、「神様への信頼」がその避け所であると教えています。
しかし、今日、自然の災害とは違った災害のあるのをご存知でしょうか。それは霊的な災害です。今日の世界は、霊的・信仰的には、まったくの砂漠であり、小さなオアシスさえない状態であります。この災害の中にあって、あなたは、その魂の渇きを、何によって潤そうとなさいますか。
神様は、「聖書のみ言葉」を、いのちの水であると言われ、「わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎが来ます」とお語りになっておられます。この神様に、全てをゆだねて、神様のみ力と助けを待ち望むことこそ、キリストを信じる者にも、未信者の方でも正しいあり方であります。
主イエス・キリストが、譬えでお教えくださいましたように「岩の上に建てられた家が、雨に打ち叩かれても、洪水に襲われても、倒れなかったように」たしかな土台の上に立たなければなりません。
3節では、神の都にある、きよき川について歌っています。
新約聖書のヨハネの黙示録22章1節では、「いのちの水の川」と言っています。また、イエス様は、サマリヤの女に「わたしが与える水を飲む者は誰でも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます」(ヨハネ4:14)と教えています。この永遠の水を、あなたも飲み、心の渇きをいやしてください。
4 みことばのみずは つかれをいやして
あらたなるいのち あたえてつきせじ。
5 かみのみもとべは つねにやすらけく
くるしみなやみも 消えてあとぞなき。
4節では、聖書のみ言葉を、ふたたび、「いのちの水」にたとえています。聖書のみ言葉は、神様のみ言葉であります。このみ言葉を心にいただくことによって、魂の渇きも疲れもいやされ、新しいいのちへと生き返ることができるのであります。私たちが、日々聖書に接し、親しみ、このみ言葉を自分の血肉の糧、魂の糧によってのみ、私たちは、霊的に新たにされるのであります。
5節では、神様のみ前にある「永遠のやすらぎ」について教えています。私たちが、心から神様に信頼し、神様が共にいたもうとの約束を信じる時、どこに不安や迷いがありましょうか。
ダビデは神様に信頼する者の喜びを歌っています。
「主よ。どうか、あなたのみ顔の光を、私たちの上に照らしてください。あなたは私の心に喜びをくださいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。平安のうちに私は身を横たえ、すぐ眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます」(詩編4:6~8)。
私たちのよりどころ、それは神様のみであります。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」