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「あなたに聖書を」
「キリスト教百話」・・・44
問21 キリスト教でいう「救い」とはどういうことでしょうか。・・5・・
答・・11 体は生きていても、存在意味は見出せないとなれば、そういう自分に見切りをつける、ということでしょう。そして、これは、自分を取り巻く人々との関係の中、もっと広く言えばこの世の中での、人間存在についての価値判断、特に今日では有用性ということと結びついてのことと言えます。「役立たず」ということが、人間の存在意義を失わせるものであるなら、様々な面での役を担って来て、それを生きていることの拠り所としてきた人にとっては、その力の喪失が自己自身の喪失となるのは当然の帰結です。
そういう場合に「いや、そんなことでわたしは失われはしない」「どっこいオイラは生きている」と言うことが出来る人は、この世の価値判断の中にいながら、それを超えたところに自分の拠り所を置いている人か、一旦死に体となった自分に新しい生き体のあることを見出した人であるかのいずれかでしょう。
「生々流転」といい、「世は移りゆくもの」とも言われて来ました。聖書は「世と世にあるものとは滅び失せる」と告げています。この世だけでなく、その中にある自分が、移りゆくどころでない、滅びるものであることを踏まえるなら「いのちとは何ぞや」「死とは何か」ということが、改めて問われているのではないかと、思います。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
<2016年8月のラジオ放送予定>
8月 7日 岩淵 正樹 (日本基督教団高蔵寺ニュータウン教会牧師)
14日 岩淵 正樹 (日本基督教団高蔵寺ニュータウン教会牧師)
21日 田口 博之 (日本基督教団名古屋教会牧師)
28日 田口 博之 (日本基督教団名古屋教会牧師)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」