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さんびか物語・・・29・・・
(広く愛唱されている50曲)・・・28
ポ―リン・マカルピン著
(米国南長老教会婦人宣教師)
讃美歌292番
はてしも知れぬ
<神様のみ言葉>
「夕方になって、イエスは弟子たちに『さあ、向こう岸へ渡ろう。』と言われた。そこで弟子たちは、群衆をあとに残し、船に乗っておられるままで、イエスをお連れした。・・・。すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水でいっぱいになった。
ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。『先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。』イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に『黙れ、静まれ。』と言われた。すると風はやみ、大なぎになった」。
~マルコの福音書4章35節~39節~
讃美歌292番“はてしもしれぬ„は、水夫たちのために書かれたと有名な讃美歌であるとE・E・ライデンという人が言っています。なるほど、この讃美歌では、人生を一つの航海にたとえていますが、この航海をしているのは、水夫ばかりではなく、浮き世の荒波を渡っているあらゆる人々もそうであります。今、あなたもその船に乗っています。そうして、険しい人生の旅路を経験している私たちに、この讃美歌は、いろいろな非常に大切な教訓を教えてくれていると思います。その意味でこの讃美歌を共に考えてまいりましょう。
作詞者エロワード・ハパーは、長年の間ニューヨーク港にあったChuruh of the Sea and Land(海陸教会)の牧師として、特に水夫たちのために牧会を続けていました。ハパーは、1818年2月17日ニューヨーク市で商人の息子として生まれました。彼はニューヨーク大学とユニオン神学校を卒業後、まずニューヨーク州のグルーンビィル長老教会、またロングアイランドのセーグ・ハーパー長老教会で牧会の任務を果たしました。
彼は1870年からニューヨーク市に戻り、そこで水夫たちを相手に、心臓発作で亡くなる1888年まで、熱心に牧会伝道を続けたのであります。彼の多くの詩や讃美歌のほとんど全部、名前を付けずにペンネームで発表されていました。なぜでしょうか。
この292番の“はてしもしれぬ„もやはり無名で1871年3月3日にSailors Magazinenに初めて発表されました。また、その同じ年に無名でバプテスト派の讃美歌集にも収められていました。
ハパー自身は数回にわたってこの歌詞を改訂して、1880年に最後の手を加えてから、自分のものとして発表しました。この改正した歌詞は、1880年5月10日、ニューヨーク市の大きな教会で、アメリカ水夫の“友の会„の52周年記念会で初めてうたわれたものであります。ハパーは、最後の改正で原作の2節と3節を省略して歌詞を6節から4節に短縮し、言葉も少し変えました。しかし、おもしろいことですが、今の英米の讃美歌集には、この原作、つまり1871年の歌詞の1節、5節と6節だけがこの讃美歌の歌詞として発表されています。結局、今日では原作の最高のところを原作のままで、人々に好まれていて、この美しい讃美歌は広く知られています。
292番の曲PILOT(水先案内者)は、ジョン・E・グードルの作曲であります。この曲は1871年に作詞者無名のJesus Saviour Pilot MeにあわせてThe Baptist Praise Bookという讃美歌集に初めて発表されました。
ジョン・E・グードルはメイン州のバンーガで1822年に生まれました。彼は小さい時から音楽に対して大きな興味を持ち、作曲をはじめ、まだ30歳にもならないうちに楽器店を開き、エドワード・L・ホワイトと一緒に音楽の本を4巻出版しています。
彼は1852年にニューヨーク市に移り、ここでも楽器店を経営しながら、もう4巻の音楽の本を出版しています。その中に50曲ほどはグールド自身の作品でした。グールドは結婚してフィラデルフィアに移ってからも、もう一人の作曲家W・G・フィシャーと共に楽器店を共同経営するかたわら、合唱団を指揮したりしました。しかし彼は、健康を害したために暖かい南ヨーロッパや北アフリカの方へ旅行に出かけたりしましたが、北アフリカのアルジェリアのアルジェで1875年3月4日急死しました。
彼が出発する前の晩に、このPILOTをピアノで弾いたそうですが、あくる日が彼の最後の人生の航海への出発とは夢にも思わなかったことでしょう。彼の場合でも私たちにいたしましてもこの“うき世の海のはて„は、ほんとうに‟知れぬ„ものでありますから、ハパーが歌っていますように、‟たしかな水先のしるべ„である主イエス・キリストに依り頼むべきであります。
この讃美歌の背景にあるのは、マタイの福音書やマルコの福音書にある有名な物語であります。
イエス様がガリラヤ湖をお渡りになろうと舟にお乗りになりました。すると激しい暴風が起きて、舟は波をかぶって、水で一杯になりました。ところがイエス様だけは、ともの方で眠っておられました。弟子たちは、イエス様を起こして言いました。「先生。私たちはおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか」。そこで「イエスは起き上がって、風をしかりつけ、『黙れ、静まれ』と言われると風はやみ大なぎになった」とマタイの福音書8章23節以下やマルコの福音書4章35節~39節に記されています。
<292>
1 はてしも知れぬ うき世の海の
あさせあらなみ いわおの中を
主よ、水先の しるしたまえ。
1節で作詞者が描いていますのは、うき世の海の恐さであります。人生は大嵐の中にあるようなもので、私たちは一寸先のことすら知ることも察知することも出来ない者であります。ですから、私たちの人生の航海において、しばしば船を難破させる、危ない浅瀬や岩を発見できずに迷いや悲しみ、苦しみに沈むのであります。このような、か弱き私たちに、何よりも必要なものがたしかな水先案内人であります。ハバーが歌っていますのは、‟海図や羅針盤はあなた(イエス・キリスト)のものであり、救い主なる主よ、私の水先案内者になってください„と歌っています。
人には、いつかは大嵐が襲って来るものです。それが、何時であるかは分かりませんが、今日無事であっても明日はどのようなことが起こるかはだれ一人知りません。
このような私たちのなすべき備えは何でしょうか。それは、大波をかぶる前にゆるがぬ岩、たしかな水先のしるしを求めるべきことではないでしょうか。では、その水先案内者はどこにおられるのでしょうか。そうです。主イエス・キリストを他にして、どこを捜しても決して見出すことはできません。どうぞあなたも、イエス・キリストをあなたの拠り所、水先案内者になさってください。
2 母のみどりご ねむらすごとく
みこえしずかに あらしをおさめ
主よ、水先の しるしたまえ。
2節では、実に美しいたとえをもって、主イエス・キリストの私たちに対する守りと愛を歌い上げています。母親がみどり子を静かに眠らせるように、主イエス・キリストも私たちを見守っていてくださる、と歌っています。イエス様は逆巻く嵐をも静め給いましたが、私たちの人生に襲いかかって来る苦難という嵐をも静め、取り去ってくださるお方であられます。
原作では、救い主なる主イエス様は、ただ嵐を統め給うたと歌っているのではなく主は嵐をも静め給う力がおありになるお方であるということが強調されています。主が波に‟黙れ静まれ„と云われた時、嵐と波は創造主なる主に服従し、主が私たちの心にある嵐をも静めてくださる、力あるお方であることを認め信じることこそ大切であります。
3 さしゆくはまべ まぢかくなりて
磯うつなみの 逆巻くときも
主よ、水先の しるしたまえ。
3節では、人生の終わり、つまり死が忍び寄ってくるときの場面を歌っています。私たちの人生の長い航海が終わって到着の浜辺に近づく時、私たちに力と希望と確信を与えてくださるのはどなたでしょうか。それは、私たちのために死に給うたお方、その死からおよみがえりになられた主イエス・キリストであります。死に打ち勝ち給うた主には、イエス様を救い主と信じる人に、死よりの勝利をお与えくださる資格がございます。
原作では、この讃美歌は“恐れるな„というキリストのお言葉で終わります。主が私と共におられますから、死をも恐れず、み手に引かれて無事に安全な港に導かれることを確信しているのがクリスチャンの信仰であります。あなたも、この信仰をお持ちになってください。
「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなた(主)が私とともにおられますから」(詩編23編4節)。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」