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ビルマ
戦犯者の獄中記 (66) 遠山良作 著
10月11日
―「メイミヨー」の公判廷―・・・1・・・
運動のために外に出る。雨期も終わったのか、今日の空は高く、澄んでいる。すがすがしい内地の秋空が思い出される。灰色の壁に囲まれた薄暗い独房とは全く異なった外の空気は甘くおいしい。塀の片隅に生えているトマトの小さな青い実が光っている。誰も、もぎ取ろうとしない。みんなこの小さな一本のトマトに慰められているのかも知れない。
この狭い庭を僅かな時間であるが歩きながら、友と語るひとときは楽しい。またいろいろな話をする場でもある。山田大佐は、岡田通訳から聞いたと言って、次の話をしてくれた。メイミヨーの公判廷で「カーサーケース」として清水中尉、菅原准尉、橋口曹長、光安曹長の4名に死刑の判決があった。この即決囚をメイミヨーからラングーンに移送途中、光安曹長が逃亡したのである。手錠を掛けられたままよくも逃げられたものである。逃げるからには背後に彼を助けてくれる現地人がいなければ不可能である。どうか無事に逃げてくれ、と祈るのみである。
5月(22年)からラングーンの法廷の外に「メイミヨー」にも戦犯者を裁く法廷が設置され、ビルマ北部に於ける事件はこの法廷で裁判をしている。今までにこの法廷で判決を受けた者はすでに17名であるが、全員が西独房に収容されているので、詳しいことは分からない。
11月3日
午後3時半頃である。一人の英人が私と、タキン党事件の関係者を呼び出しに来た。彼の後について行くと、メインゲートの横の広場に来た。そこには既にタキン党事件で死刑の判決を受けて西独房にいる東大尉たちが来ていた。数人の英人将校は緊張した様子で私たちの来るのを待っていたかのようにタキン党事件の確定判決文を読み上げた。
15年の刑から10年に減刑された。東大尉たちの死刑の確定は、予期していたとはいえ、ハンマーか何かで脳天を打たれたような気がした。この悲しみの中にも7名の友の減刑は喜びである。
死の宣告を受けた東大尉に、分隊長殿と手を差し伸べて何か言わんとしたが、あとからあとから涙があふれて言葉にならない。また何と言って慰めたらよいか、その言葉さえ見つからなかった。ただ「あとのことは心配しないで下さい」とひとことだけ言う。
東大尉は「遠山、体だけは大切にしろよ。日本に帰ったら1日に5分で良いから日本の国のことを考えることだけは忘れるな」と言われた。中山少尉とも、涙で最後の別れをして東独房に帰った。
判決文死刑確定を平然と
読みあぐる英兵の 横顔かたし
言葉なく 堅き握手に別れきぬ
明日処刑の 東大尉と
死の決まる 宣言文を 聞きおわり
君は静かに 顔を上げたり
*文章の転載はご子息の許可を得ております。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」