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小閑記
そののち、イエスが出て行かれると、レビという名の取税人が収税所にすわっているのを見て、「わたしに従ってきなさい」と言われた。
~ルカ:27~
キリスト者の生涯で、イエスに従うことを許された年月のことを思い返すと、その頃は本当に恵まれた年月であった、心から言うことができることはなんと幸いなことでしょう。もしそうでなかったとすれば、その生涯の最良のものを手にすることなく、名ばかりの信仰者であったことになります。
主にある者としてでなかったとすれば、キリスト者にとって悲しみ、恥とするところであります。これは、私たちの思いです。
しかし、主は決して私たちを捨て去られませんでした。どのような弱く、惨めな私たちの人生・生涯であったとしても、主はその生涯に、恵みに恵みを加えてくださいました。永遠の命を約束してくださいました。
私たちは今までより更に、主の良いことのほか、何もなさらなったことを、知るべきです。移り変わる世に、繁栄に、不幸に、悲しみに、罪にあっても、主の愛と同情は、日々、私たちにありました。私たちが誤った時、主はすべてを許し、人生に傷ついた時に癒し、心に慰めと励ましを与え、人に見捨てられた時には、もっとも近くにいてくださいました。怠惰な時には、愛をもって罰し、人生の苦難を変えて、希望という宝をくださいました。
主は真っ暗闇の中にさまよう私たちに、み言葉という光を下さり、導いてくださいました。この主が「わたしに従いなさい」と招いてくださいます。この愛の主が待っていてくださいます、と言われます。
キリスト者として、これからの人生を良い年月であったと、心から告白したいものです。日々に、未来に希望と目的を思い描く時、新鮮に思えるのは、どうしてでしょうか。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」