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ビルマ
戦犯者の獄中記 (67) 遠山良作 著
―「メイミヨー」の公判廷―・・・2・・・
11月4日・・1・・
―東 登大尉、中山伊作少尉の最後の日・・1・・
(これからの記事は東大尉たちの隣房にいた井出准尉が書いた記録の原文である)
西独房10号に東大尉たちの隣房にいた井出准尉が入房していたが、印度人の所長カーン大尉の好意により中山少尉は11号に移され、東大尉の房と相応してお互いに会話が出来るようにしてくれた。
中山 「ああこれで安心した。若い者がみんな助かった。願っていた通りになり、こんな嬉しいことはない。私たちが逝った後は若い者がやってくれるから何も心配ない。だが確定の言い渡しがあってあのまま別れてしまうのはちょっと寂しかったが、所長の情によってこのように心ゆくまでお別れができることは有難かったね」
東 「うんそうだ。まったく所長の好意には感謝している」
中山 「現在のような真実に満たされた心境で明朝絞首台に上りましょう」
東 「うん、仏印以来ずっといっしょだし、またいっしょに散って逝くあの世までしっかり手を握って満ちた心で逝く、若い者が助かり責任者の俺たちが逝くのだが俺一人で済むと思っていたが、今の君の気持の立派さを聞いてこんな嬉しいことはない。俺もやっと安心した」・・・中略
中山 「分隊長どうでしょうか、われわれの如くに死んでゆくのと、天寿を全うして死んでゆくのと気持の上でどうですか・・・」
東 「それは天寿を全うしたとしても心配はあるよ。妻子のこと、事業上の心配、その他いろいろな悩みがある。われわれのような7年も8年も故郷の親兄弟妻子と離れていると、忘れはしないが歌の文句にあるなあ、『思い出しても忘れずに』の通りの肉親の別れがないだけ楽さ。天寿を全うしたからとて人間の欲には限りがない。同じだよ」
中山 「そうですね。やっぱりそうですね。その点われわれには国のためという自負心か何と言いましょうか、何かがある。そうして国家再建の礎石として死んで逝くのだという大きなものがありますから安らかに逝かれます。戦友その他の人に見守られずに死ぬ人も沢山あります。その点われわれは情けある分隊員、その他の戦友に見守られて逝くのですから勿体ない位です」
東 「内地に帰って妻や子供のことを心配して死ぬより、現在のわれわれは、妻や子供は元気でいる(はっきり聞き取れないが)。また戦友のこの限りない愛と情けに抱かれて死んでゆくのではないか」
中山 「現在の私たちは実に美しく結ばれた戦友の愛に包まれて死んで逝く、実に有難いです。やっぱり天寿を全うして逝く人といっしょですかな」
東 「確定の言い渡しがある前に死んでゆくとき果たして死を恐れず逝けるかなと、心配であったが、今になって見ると何も心配なく逝けるよ。むしろ平然としてゆけるよ」
中山 「分隊長もそうですか、私もそうでした。人間はやはり同じですね。こうして二人とも手をたずさえて逝けるのですから、こんな幸せなことはない。冥土までもいっしょですね」
*文章の転載はご子息の許可を得ております。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」