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解説 ウエストミンスター信仰告白 (50)
岡田 稔著
(元神戸改革派神学校校長)
第23章 国家的為政者について・・2・・
3 国家的為政者は、み言葉と礼典との執行、または天国のかぎの権能を、自分のものとしてとってはならない(1)。しかし、一致と平和が教会において維持されるため、神の真理が純正に欠けなく保持されるため、すべての冒とくと異端がはばまれるため、礼拝と訓練においてすべての腐敗と乱用が防がれ、あるいは改革されるため、また神のすべての規定が正当に決定・執行・遵守されるため、国家的為政者はふさわしい配慮をする権威を持ち、またそうすることが義務である(2)。このことを更に有効にするため、彼は教会会議を召集し、会議に出席し、またそこで処理されることが一切神のみ旨に従ってなされるよう準備する権能を持つ(3)。
[1787年合衆国長老教会総会改訂「国家的為政者は、み言葉と礼典との執行、または天国のかぎの権能を、自分のものとしてとってはならないし、信仰上の事柄に少しでも干渉すべきでない。しかし、養育する父親のように、ひとつのキリスト教教派を他派以上に優遇せず、およそすべての教会の人々が、暴力や危険なしに自分の神聖な機能のどの部分をも履行する十分な・解放された・疑う余地なき自由を受けるような方法で、わたしたちの共同の主の教会を保護することが、国家的為政者の義務である。そして、イエス・キリストはその教会に正規の政治と訓練とを定められたので、どのキリスト教教派の自発的会員の中での・自分自身の告白と信仰に従うその正当な行使を、どの国家のどのような法律も干渉したり、邪魔したり、妨害したりすべきでない。だれも、宗教または無信仰を口実にして、何か軽べつ・暴力・虐待・傷害を他人に加えることがゆるされないような効果的方法で、すべての国民の人物と名声を保護すること、またすべての宗教的教会的集会が、邪魔や妨害なしに開催されるよう、ふさわしい配慮をすることが、国家的為政者の義務である」。日本基督改革派教会第4回大会採択]
1 歴代下26:18、マタイ18:17、マタイ16:19(*)、Ⅰコリント12:28,29、
エペソ4:11,12、Ⅰコリント4:1,2、ロマ10:15、ヘブル5:4
*歴代下26:18をマタイ18:17・マタイ16:19と比較
2 イザヤ49:23、詩122:9、エズラ7:23,25-28、レビ24:16、申命13:5,6,12(6,7,13)、
列王下18:4、歴代上13:1-9、列王下23:1-26、歴代下34:33、歴代下15:12,13
3 歴代下19:8-11、歴代下29章、30章、マタイ2:4,5
三 本項は、教会と国家との関係が相違する近代の米国では、次のように修正されている。
「いやしくも信仰上に関する限り、特にそうあるべきである。しかし、国家的権威者の義務は、養い親に見るように、如何なるキリスト教の教派たりとも、取り分けて差別待遇することなく、全ての信者が暴力も危険も感じることなく、己が職務をあらゆる部門に於いて果たすように、完全にして自由な、しかも当然な自由権を享受し得るように、我らの共同に主の教会を保護することでなくてはならない。
またイエス・キリストが己が教会に秩序ある政治と戒規とを定め給うように、キリスト教のどの教派に属するにしろ、己が信仰告白と信仰に基づいて、それらを正しく実施することに口出しし、障害や妨害となる如何なる国法もつくってはならない。
また他の如何なる人物に対しても、信仰、不信仰を口実にして苦しみを受ける者のないように、また、如何なる侮辱、暴力、罵倒、あるいは損害を与えることに対しても、実力をともなう有効手段を以って、すべての国民の人権と名誉とを保護することが国家的権威者の義務である。また、宗教的、教会的なすべての集会が迫害を受けないように円滑に行われるようにすることが彼らの義務である」。
原文は、国家が善意の保護者・監視者となることを主張し、修正文は、信仰、宗教、集会の自由を保護することが、その務めであると規定している。わが国のように異教国家の場合は、どちらも、そのまま当てはまるわけではないが、これは教会の信仰告白であって、国家に対して、このような見解に立てと要請する権利があるわけではないから、国家がどのような見解を採用しているにしろ、わたしたちは、こうあるのが聖書的であると宣言するのみであって、ただちに、そうしないからその国家を肯定しないとか、何か国家に対して政治的に交渉したり、勧告するというのではない。だから原文のままを採用することが不可能なのでないと思う。しかし政教分離の原則を聖書的と考える限り、修正文の方をよりよいものと認めなければならないと思う(日本基督改革派教会創立30周年記念宣言を参照されたい)。
4 為政者のために祈り(1)、その人物を尊び(2)、彼に税と他の納めるべき物を納め(3)、良心のためにその合法的な命令に服従して彼らの権威に服することは(4)、国民の義務である。無信仰または宗教上の相違は、為政者の正しい法的権威を無効にせず、為政者に対するその当然の服従から国民を自由にせず(5)、教職者も免除されない(6)。まして教皇は、彼らが支配している国の中での為政者に対し、またはその国民に対し、何の権能も司法権ももっていない。とりわけ、彼が彼らを異端者と判断しても、または何か他の口実に頼っても、彼らからその国や命を取り去ることは断じて許されない(7)。
1 Ⅰテモテ2:1,2
2 Ⅰペテロ2:17
3 ロマ13:6,7
4 ロマ13:5、テトス3:1
5 Ⅰペテロ2:13,14,16
6 ロマ13:1、列王上2:35、行伝25:9-11、Ⅱペテロ2:1,10,11、ユダ8-11
7 Ⅱテサロニケ2:4、黙示13:15-17
四 主権者が異端者であれ、共産主義者であれ、彼らがわたしたちの主権者であるという関係を無効にはしない。わたしたちは人間としての彼らにではなく、神よりこの国の支配権を正当に委任されているということによって、彼らに服従すべきである。と同時に、法王が信徒に対して、あるいは国民に対して現世的司法権を振るおうとするなら、わたしたちは、これを非聖書的な要求として否定すべきである。
教会の牧師や小会が会員の家庭内の私事に対してもつ機能についても、同様であることが言われるべきである、と私は考えている。
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=この「解説 ウエストミンスター信仰告白」」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1976年)で、出版社の許可を得て掲載しています。この本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
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