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今月のことば
御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持っていない。
~Ⅰヨハネ5:12~
聖書の言葉は欧米の文化や文学や絵画や芸術に影響を与えて言いますから、自然に覚えている人は多いように思います。「狭き門」「人はパンのみに生きるのではない」とか、「隣人を愛しなさい」などもあります。ある時期には、聖書を題材にした映画も沢山配信されました。「十戒」「聖衣」「サムソンとデリラ」などなど・・・。
しかし、この「御子」と言う言葉の持つ意味は特別なものがあります。初めて教会に行かれた時の戸惑いは、よく覚えていると言います。讃美歌や祈祷などではなく、殆ど初めての言葉や言い回しに「異」を感じたと言うのです。
お話の中に「罪」「罪人(つみびと)」「いのち」「救い」「贖い」と言う言葉が何度となく出て来て、違和感さえ覚えたという人もいます。
この「御子を持つ者」もその一つでしょう。しかし、この言葉と意味を知ることが、キリスト教信仰そのものなのです。
人の声を聞くことは大切です。他者の声を聞かぬ者は、本物の声を聞かぬ者とするなら、ことは重大です。「羊飼い」は、その語られた言葉に耳を傾け、確かめに行きました。そうして出会ったのが幼子イエス(御子)でした。呼び掛けに聞き、確かめに行き、見たのです。
聖書のみ言葉に戸惑い、それに疑問と好奇心を持ち聖書を読む人もおられるでしょう。しかし、そこに待つのは「御子を持つ者の幸い」です。聖書を読む者。それは「神の御言葉が命の養いとなる喜びを知る者」でもあり、それはちょうど、命を保つためにパンを食べるように読むことに等しいのです。また、キリストの群れに加わる者にされることでもあります。それが「いのちを持つ」と言うことなのです。
「私は神の御子を持っている。それゆえに私も生きる」と言うことが許される自分にされる。この魂の感動は何にも代えがたいものです。自分が生と死において神の御子に属していることを知り、そのことを信仰として確かなものにされていることは、なんと幸いなことでしょう。
「隣人を愛しなさい」というみ言葉には、次のようなイエス様と律法学者のやり取りがあります。イエスを試みようとして「先生、何をしたら永遠の生命を受けられるでしょうか」。とのお答えとして、『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります(ルカ10:27)。
大切なことはその後のイエス様の、隣り人とは、誰のことですですかに対するお答えです。とても大切なことが教えられております。是非、聖書をお開きになり、お確かめください。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」