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第75課 キリスト者生活の実践的義務
=12:1~15:13=・・・20・・・
B キリスト者の市民的義務・・・6・・・
13:1~2・・・5・・・
「政府の機能と権力」・・1・・
「いったい、支配者たちは、善事をなする者にはっ恐怖ではなく、悪事をする者にこそ恐怖である。あなたは権威を恐れないことを願うのか。それでは、善事をするがよい。そうすれば、彼からほめられるであろう。彼は、あなたに益を与えるための神の僕なのである。しかし、もしあなたが悪事をすれば、恐れなければならない。彼はいたずらに剣を帯びているのではない。彼は神の僕であって、悪事を行う者に対しては、怒りをもって報いるからである」(3,4)。
ここでパウロは為政者に対する服従のもう一つの理由を述べられています。すなわち、服従が私たちキリスト信者の義務であるばかりでなく、為政者たちの悪を抑制し、善を推進するという目的をもっているからです。この二つの節の中に為政者の機能についての聖書的教理が明示されています。要約して言うと、神によって立てられた為政者の機能は、人間社会における正義の管理です。
政府は罪の存在のために必要です。もし人間が罪に落ちていなかったとすれば、国家と言うような機構が出現していたかどうかという問題は議論のあるところです。国家に類するような何ものかが存在していただろうと考えることもできましょう。しかし、罪に汚れた現在の世界に存在するものとは非常に違ったものとなっていたでしょう。何故ならば、罪に汚れていない世界においては、権力の行使は不必要であり、罰すべき犯罪や邪悪は皆無であったと考えられるからです。
罪なき世界においては、国家は単に人類の有機的統一の表現に過ぎず、相互協力という目的のためにのみ存在し、邪悪の抑制のためではないのです。しかし、罪の世界においては、国家は邪悪の抑制のために存在するのです。国家は神が罪を抑制し、人間社会を守られる方法の一つなのです。
政府という制度についての最初の明確な啓示は、創世記9:6の「人の血を流すものは、人に血を流される、神が自分のかたちに人を造られたゆえに」です。「殺人は死刑をもって罰せられる」というこの命令は、この命令を執行するある種類の制定された政府の存在を含意しています。
聖書を通じて、政府の存在とその役割についての多くの教えを見ることが出来ます。そして、政府の第一の機能が、人間社会に置ける正義の保持にあることを明確に教えています。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」