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ビルマ
戦犯者の獄中記 (68) 遠山良作 著
―「メイミヨー」の公判廷―・・・3・・・
11月4日・・2・・
―東 登大尉、中山伊作少尉の最後の日・・2・・
―死刑者東大尉、中山少尉最後の夜の語らいは続く―
(両官ともしばらく静かになる)
中山 「何を考えていましたか」
東 「いや何も考えていない。ただ今日のことは夢のようだ」
中山 「そうですね。夢です!今までのことはみんな夢ですね。人生は夢の如くですな。分隊長、あれは仕上げましたか」
東 「うん仕上げた。創作的に書こうと思ってみたがやっぱりそういう風に書くと文学的能力がいる。何しろ自分の一生涯を書くのだからちっとも飾らずにありのままを書き表そうとしたのだから大分苦労をしたがようやく仕上げた。それに歌のほうも仕上げた」
中山 「それは良かったですね。私も一生涯を、生まれてから現在までの状況を詩によって書きました。将来、子供が見て父親がこんな人生航路を歩んで来たか、と見て何かの役に立てば良いと思っています」
(すこし間を置いて)
東 「中山君、俺と君とは長い間いっしょに勤務したが俺は己の全能力を発揮して勤務したことはなかったよ。司令部にいる時、分隊にいた時、全智、全能を発揮して勤務したことはない。実に情けないことである。俺の力の半分位出したかな・・・、何しろ仏印時代は俺の花だったし、活躍の舞台であった」
中山 「そうですね。実に仏印時代は花でしたね。いろいろの面でも思い出の多い地でもありましたね。ところで今夜は皆さんに私たちが余り沈んでいてはいけないから演芸会をしてはどうでしょうか」
東 「うん、それは俺も考えていたことだ。所長が来たら頼んでみよう」
7時50分演芸会に移る。両官のために、軍歌、和歌等を贈る。
特に千葉の「子守歌」には感無量であると言われた。
中山少尉は詩吟。西郷南州、摘流を吟ずる。
東 「私の心境は何一つわだかまりなくて本当に安らかです。既に逝かれた緑川大尉(カラゴン事件で死刑)の彼のあの暁の心、今晩は心から喜びに満ちております。それ以外なに物もありません。これひとえに戦友諸氏の大いなる愛情と、刑務所長たちの好意のお陰であると感謝します。みなさんの真心ある今度の演芸会、これはまた厚く御礼申し上げます。数限りなき愛情に満ちたこの気持を歌でお答えします」
限りなき 人の情けに つつまれて 今宵の心 みちてあかるき
一段と声を張り上げて、日本再建の道について語られた。その要旨は「日本再建は重大かつ困難である。敗戦によって国民全般はその本来の伝統精神の退廃を見たが、それは敗戦の衝撃により生じた一時的現象であると思う。真の日本人はそれではいけない。また本来の日本精神は戦友諸氏によって生きているから安心して逝ける。帰還されたならば祖国再建のために、愛と誠に徹して奮闘努力して下さい。“欲望と私心を捨てよ”真の意味において真の愛は祖国再建をなし得る唯一の道である。これによってのみ祖国は栄えるのであると信じて疑わない。武力、全力で繫栄したならば、再び今日の如き悲惨な轍を踏む。「非理法権天」の道、即ち「人の道だ、愛だ誠だ」。
畏くも詔書に明らかに示されてある。世界人類の普遍の原理であるこの大理想による以外に日本再建の道はない。私たち日本人は今次の敗戦によってこの反省が出来たのだ。日本は古きより愛の国である。武力再建は夢だにも思ってはならぬ。再び今日の悲劇の歴史を繰り返してはならぬ」。
辞世として
新しき 国のかためと 散りて逝く 吾が行く道は はげしくとも楽し
中山 「このような皆様の愛情に答えて私の偽らざる気持ちを申し上げます。死刑の確定の言い渡される前には、いささか心配で悩みもしました。が、今は非常に安らかな気持ちです。大野君以下7名は減刑になった。これらの若い方々の減刑はかねて願っていた。それが叶って本当に嬉しい。今日まで人生最高の体験をされたみなさんの祖国再建に力強さを覚えます。
吾は今 南の涯に 朽ちぬとも 永久に護らじ 皇みくにを
東大尉は斎藤曹長に対して
「この鉄格子の生活は誠に尊い得難い人生修養道場だ。ただ単に小説や諧きや雑誌等に読み耽けることなく、たとえ一日にひとこと、五分でよいから将来の日本再建を如何に計るかの大理想を語るべきである」と言われた。
その後両官はお互いに幼き頃の思い出話をされた。
12時を過ぎた。中山少尉は「みなさん眠いでしょうから寝てください」と言われる。3時頃、桧垣曹長は、「分隊長殿、桧垣がお宅に行きますから安心してください」
東 「有難う。遺族の者にこの状況を知らせてくれ。桧垣よ、小説やくだらない雑誌はなるべく読むなよ。論語か、役に立つ本を読んで人格の完成につとめよ」
5時頃、私は(この記録の筆記者井出准将)両官に白い花を一枝ずつ贈った。東大尉はこれにこたえて。
贈られし 葉末にとまる コオロギの 小さきひとみに 吾は語りぬ
東 「中山君そろそろ準備をしなければならないよ」
中山 「はい、承知しました」
5時20分 両官と全員で「君が代」と「海ゆかば」を合唱する。
5時40分 英人2名監房に入って来た。開錠の音が聞こえる。この時両官は万歳を叫ぶことを認められず、直ぐに連れ出さんとするものの如し。両官は「今ゆくぞ」と叫ぶ。突如、「天皇陛下万歳」を叫ぶ声がする(英人執行官烈しく制止する)。全員これに続いて万歳を三唱する。
5時50分 絞首台において中山少尉は天皇陛下万歳を一唱、おわらないまま余韻を残して踏台は落とされ「バタン」と不気味な音が響いてきた。
整頓された空房に残された湯呑に差してある白い花の一枝は、生き生きとしてあたりに香りを漂わせていた。
11月10日
神野中尉たち3名を絞首台に送って以来、死刑を宣告された者は全員西独房収容されるようになったので、この棟(東独房)には有期刑の者ばかりである。したがって監視も緩やかになり、棟の外にある空き地を利用して野菜を作ることを許可してくれた。狭い独房に閉じこめられて生活していた私たちにとっては、棟の外はとても広い感じがする。
雑草の覆い繁る荒地に裸足で踏み込むと朝露でひんやりと冷たい。力一杯振り下ろす鍬に驚いたコオロギが飛び出す。常夏の国にも秋の訪れを知る。運動不足で体力は弱っているので、直ぐ吐く息は荒く額からホトホトと流れる汗は目に口に入る。しかし本当に気持がよい。生きていることの実感が湧いてきた一日であった。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」