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その愛のゆえに
=時々の記=
(127)
9月19日
朝から大きな雷が鳴ったり、急に大雨が降ったりと激しい天候です。秋晴れはこれからなのでしょうか?毎日、湿度の高いムシムシした秋を迎えています。リオでのパラリンピックが終わってしまいました。選手の方たちの限りない努力、不屈の精神力に励まされました。今は、夕方になると秋場所を楽しんでいます。
葛の花零るる道や缶拾ふ。
絵葉書きの美し残暑見舞いかな。(藤沢さんと鶴原さんから頂いたものです。)
チボー家の苦闘を読みぬ夜長かな。
桐一葉芝生近くへ落ちにけり。
ルオーの絵さまざま灯下親しみぬ。 馬場路哉
昨日の礼拝で、信友が体調を崩し、10月に入院手術をされるとのこと。心を合わせて祈りました。
9月23日
秋らしくないこの頃ですが、土手に群がって咲き誇っている彼岸花に何だか力いっぱい生きている、そのような勢いを感じさせられています。あのどぎつい朱色は自然の中で咲いているから調和がとれているのだと思うほどにどぎつい色です。でも、秋の始まりに精一杯咲いている姿にはこちらも力を与えられるのです。何とも不思議な花です。葉っぱが一枚もなく、茎から直接花が咲いているのですから。それに必ず一本ではなく4、5本、あるいはそれ以上群がって咲いているのです。昨夜、NHK BS3で“昭和の歌”と題して、“山田耕筰”の作曲された歌を聴きました。中学の教科書で習った、“荒城の月” “カラタチの花”。また子供のころよくうたった“赤とんぼ”“土手のすかんぽ”などなど、およそ一時間にわたって秋の夜長を楽しみました。今まで知らなかったのですが、山田耕筰はクリスチャンだったというのですね。
10月1日
10月もスタートです。ジャーナル10月号を今朝から読ませていただいています。私たちにとって最も大切なこと、それは神様のご栄光を表すことにあると導かれ、深く反省しているものです。神様から与えられた賜物を最大限にご栄光を表すために用いることができますようにと祈りましたす。
大阪の「美しい朝に」さんのことも祈ってますが、人生には試練がもうだめだと思われる厳しい試練が重なるときがあるけれども、祈りによって支えられていると知らされました。“どうして、私だけがこのように苦しい人生を歩まねばならないのだろう”と不平不満の私ですから、とても申し訳ない気持ちになります。
賛美歌を歌ひて灯火親しかり。
野分後木々の倒伏おびただし。
気高くも棕櫚咲きにけり右近の碑。
歌ふかに玉を転がす虫の声。
リハビリの帰り道なる鰯雲。 馬場路哉
10月10日
昨日、教会の礼拝から急いで帰ってきました。犬のサクラが二日ほど前から体調を崩してとても苦しんでいたからです。直ぐにサクラの部屋に入っていくとやはり痰が肺からあがって来るようで、呼吸が荒く苦しそうです。見ているとこちらがとてもつらくなってきます。神様に“サクラのこの苦しみを取り除いてあげてください。”と祈ることしかできません。“サクラ、そんなに頑張らなくてもいいよ。十五年間本当にありがとうね”目立つのが嫌いなサクラは私の後ろに回ってチョンと両手で、挨拶してくれるのです。その礼儀正しさを見ていて村中の人たちから“忠犬ハチ公”のようだといわれてきました。そのサクラが午後五時三十分、天国へ旅立ちました。家の中が急に暗くなりました。たった一匹の犬のサクラの死がほかの二匹にも伝わったようです。一匹は首をかしげて、どうなったの?と私をじっと見つめます。あと一匹は“キューン”と泣いて悲しみを表しいました。
今朝、早くからサクラのお墓を主人と掘りました。サクラが一番好んでいた八朔の木の下です。その横にはサクラのお母さんのお墓があるのです。散歩に行く途中必ずサクラはその八朔のところまで行って出かけていましたから。そして温かいタオルでサクラの体をきれいに拭いてあげるとふと今にも口をあけるかのように感じました。“サクラ、お前が一番最後まで残ると思っていたのに。一番先に死んじゃったね。でも本当に忠実に仕えてくれたお前の姿に感謝しているよ。有難う。さようならサクラ。”もう胸がいっぱいです。
主に在りて爽やかな朝迎ㇸける。
どことなく優しく揺れる千草かな。
秋草の真っただ中に憩ひけり。
夕霧に山峡の村出で湯とも。
遠景を遮り青し今年竹。 馬場路哉
馬場暁美
「上野緑ヶ丘教会会員」
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」