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小閑記
だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているからである。
~へブル10:35~
信仰生活を送る中での、多くの信仰者が確信を失う場所が二つあると言われています。それは家庭と職場です。何もかも見抜き、知り抜いているのが家族です。お互いにたくさんの醜いところや思いを見ています。そこを隠して、うわべの信仰深い言葉は、虚しく響くものです。
今の多くの母親は、子供を抱え、家事に、外の仕事にと働き続けています。本当に心も体も疲れ果てて、神経質になり、今を、心の状態を後悔する人もおられるでしょう。証のない生活は、確信の揺らぎになります。
職場の中での信仰の証は、また別の困難さを覚えるでしょう。競争社会、成果主義社会と言われる中で、信仰者として生きることは、厳しいものがあるでしょう。そのような日々を過ごすうちに生活の疲れが確信の揺らぎになると言われます。
そのような私たちに、神様は確信を失ってはならないとの励ましをくださいます。そのような確信を持てない者たちにこそ、報いをお約束くださるのです。
その第一は、確信は自分を守るために必要です。今を静まって自分を注意深く見つめなおし、次へ歩ませる第一歩へと目を覚まさせ、改めて、神に助けを乞う祈り人にさせるためにお招きになります。
第二は、それが自分のみにとどまらず、他の人々への祝福となしてくださるという約束です。家族に、夫婦に、職場の同僚に、社会にです。
確信を保つ幸いは、この約束の主に生きる者に成長させてくださいます。信仰の戦いには、人を殺す武器は必要ないのです。信仰者の武器は、み言葉への信頼と神への愛です。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」