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小閑記
「それだから、神の安息にはいるべき約束が、まだ存続しているにもかかわらず、万一にも、はいりそこなう者が、あなたがたの中から出ることがないように、注意しようではないか」。
~へブル4:1~
2016年のカレンダーも12月一枚になりました。多くの方は2017年のカレンダーを手にして、新しい年のあるべき姿を思い描いておられることでしょう。
神様のお言葉の中には、二つの強い対象のことが記されていますが、そこには不思議な調和があります。
一つは、数々の言葉で、完全な救いと開かれた扉、そして神様が私たちを守ってくださるという、確かな約束であります。それは、誰も私たちを救い主のみ手から引き離し奪うことは出来ないこと。何物も、主イエス・キリストにある神の愛から私たちを離すことは出来ないということです。
しかし、聖書の他の個所では、私たちの危険は大きいと教えています。もし私たちが心から、真剣に目的に達したいと願うなら、気を配り、祈り、戦い、魂をきよめ、恐れおののいて救いのために労し、神を敬い、それを全うしなければならない、と。
この二つの似ても似つかないみ言葉に、戸惑うのではないでしょうか。それは、最初のことは、神様に関することであり、次は、私たちに関することであります。動かせぬもの、確実なもの、決して失敗せぬものは、私たちの救い主の十字架の救いであり、父であられる神の内にそれがあります。この神と共にある限り、私たちは常に安全でありますが、自分自身のことについては、その弱さ、醜さ、不完全さに、謙虚に恐れおののく者でなければなりません。
信仰の危険は、常に私たち自身の中に、心にあることを知っていなければならないのです。
神様のお約束の確かは「あなたがたの父の許しがなければ、一羽の雀も地に落ちることはない」。そして「あなた方は多くの雀よりも、まさった者である」と言われています。このように私たちが神様の内にあり続けるなら、安全であることが約束されています。
こ神のみ手に支えられ、神を愛し、従う2017年でありたいと願う、備えの12月にいたしましょう。
=写真は長野県・小布施の「道の駅」の紅葉です=
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」