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11月22日
―小田大尉、塩田中尉の死刑執行される前夜―・・2・・
―小田大尉、塩田中尉の死刑執行される前の夜―2時10分頃、塩田中尉から「皆さんの熱意ある言葉を聞いて安心して逝くことが出来ます。日本再建は必ず出来ると信じます。かつて独逸が第一次大戦に敗れた1年後、少年に将来何になるかと尋ねたところ、99%の者が「ソ連をたたくことだ」と答えたそうです。これがゲルマン民族の気概です。ところがそれ以上にまさる我々大和民族は、独逸が立ち直った以上に早く復興すると信じます。そして大和民族が再度この悲劇を繰り返さぬようにお願いします」との言葉がある。続いて2時30分頃から小田大尉が、11年間にわたる野戦勤務の想い出を語られる。
「昭和12年の春、2・26事件半ばにして満州に派遣され、14年の春、南支那に移り、16年春、福州作戦に参加、同年10月海南島に赴任し、サイゴン、泰国に平和進駐、そしてベッグ山系を越えて17年2月11日、紀元節の日にマンダレーに入り、シッタン作戦後、3月8日ラングーンを攻略(この間弓部隊に配属)、4月29日マンダレー作戦に参加し、この間門出中尉(現在少佐)と共に元ビルマ国家代表バーモ博士を救出した。その後雲南作戦に参加、6月龍陵分遺隊長、18年1月本部附となり、モービン県地区粛正討伐隊長として出勤した。この時の事件が今度の裁判で起訴され、今日の結果になったのです。その後、19年1月西南憲兵隊本部附となり、55師団連絡将校を1カ月やった後、特殊工作隊を編成し、それを指揮してバセイン、アラカン地区で勤務、20年5月転進作戦でベグー山系に入り、特殊工作神風隊と改名した。マンダレー街道を突破する友軍のために情報収集及び地形敵状偵察等の任に当たる。
8月26日、初めて終戦になったことを知り、直ちにモールメンに赴き、10月11日、武装解除され、2、3日後、久米司令官たち5名と共に飛行機でこの刑務所に移送された。私が神風隊長の理由で独房に入れられたが、そのことは何もなかったので、翌年(21年)11月独房から出された。この時はほっとした。そして生きて内地に帰れると思い本当に嬉しかった。―中略―
自分の人生観は(朝に紅顔ありて、夕に白骨となる人の一生)の要旨を語られる。―中略―
2時50分頃、清水中尉は「塩田さん、腹の具合は如何ですか」
塩田「もう大丈夫です。明朝は火葬で完全消毒して行くんだから、「アミーバ」でも大腸炎でも大丈夫ですよ。それに英軍の親切ですよ。あの世に行くのに予防接種までしてこれるんですからねアハッハ!」
今度は葵生川准将が「塩田さん一度聞こうと思ってわすれていたけれど・・・」「何かね」「一寸言いにくいね。フフフ、言っちゃおうか。貴方の妹さんのことだよ」
塩田「ああ妹かね。あれはまだ小さいから使いものにならんよハハハ」「小さいから可愛いいでしょう」と、葵生川さんの声
―中略―
4時10分頃、小田「今日、死刑の言い渡しを受けて帰る時、S、K(印度人)に会って、永い間有難うと言ったら、お国のためだから安心して行って下さいと逆に激励されたよ。井出、後からよろしく言っていたと伝えてくれよ」
小田「井出、恩を忘れるな。三恩をな。君の恩、親の恩、師の恩を。師は小学校の時の先生が一番良い。人間としての基礎を作ってくれたのだから。そのことを大野当房、塩田たちにも伝えておいてくれ。そして屋には最後まで希望(減軽のこと)を持って頑張れと言ってくれ」
このとき5時を知らせる時報が鳴る。
5時8分頃、小田大尉から「じゃ「君が代」を始めてください」
塩田「お願いします」
森元「承知しました」と答える。森元准将の音頭により全員で『君が代』『海行かば』を各々2回合唱する。
小田「今度は二人だけで『海行かば』を歌います」と言って二人合唱さる。
小田「平素の気持ちと変わりありません。ただ神様と阿弥陀如来が迎えに来ているような気がします。8棟や東独房の方々にも長い間いろいろとご迷惑をかけました。皆さんのご厚情と真心を抱いて笑っていきました、と伝えてください。どうも皆様ありがとうございました」
塩田「長い間いろいろ無理なお願いも聞いていただき、どうも有難うございました。二人は笑っていきました、と皆さんにも伝えてください」
5時45分頃、小田「決して悲しまないでください。笑って送ってください。万歳は縛られる前にします。井出、いよいよお別れだな。君からもらった水を末期の水に飲んで行くよ」
このとき所長が来る。両官は所長と何か話しておられるが声が低くて聞き取れない。暫し沈黙、房内の者はみな息をひそめ、時の経過を待つ・・・。
5時56分頃、両官は声高く「万歳」を三唱、一同もこれにあわせて「万歳」を唱える。
両官「さようなら」の最後の言葉を残して房を出る。各人直立身を固くして息をのみ、去り行く両官の足音のみを聞く。
両官は房を出られるに際して、次の辞世を朗詠される。
祈りつつ 死に行く吾は 霊となり 永遠に護らん 皇御国を
6時、早朝の静寂を破って冷酷な踏板の落ちる音が響く。全員万歳を以てこれに和す。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」