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ビルマ 戦犯者の獄中記 (71) 遠山良作著
11月17日
―屋(おく)軍曹に死刑判決―
「イエケース」として公判中の宮本曹長死刑(確定判決で10年減刑)、屋正義軍曹死刑の判決がある。屋軍曹は北支那の5期生で、北支那からビルマに転属し、任地は私と同じモールメン分隊であった。着任間もなく、イエ地区に降下した英軍の落下傘諜者の捜索のためジャングル地帯を4ケ月間共に捜索した仲である。その後彼は「タイ緬鉄道」の終着地、タンビザヤ派遣所に転任したが連絡のためモールメン分隊に時々出張して来た。
インパール作戦に敗れ、戦況が不利になるにしたがって会う機会もなく、彼がイエ派遣所に移ったことも知らなかった
彼がイエケースで起訴されたことを聞いて私は彼に尋ねた。
「屋よ、起訴された事件は大丈夫か」
「反乱軍の関係者を逮捕し、二人を殺した事件であるが、俺は殺していないから大丈夫ですよ」
「だけどなあ、いままでの裁判の例を見ると、例え殺さなくとも証人より、指名されると危ないから十分気を付けてその対策をしろよ」と話したことがあったが、彼もついに死刑の判決を受けてしまった。彼の減刑をただ祈るのみである。
戦友の 死刑宣告 聞きし夜は たかぶりわれも 目覚め更け行ゆく
屋軍曹の辞世
今更に 言う言の葉も なかりけり 我が逝くことも 運命なりせば
11月21日
―戦犯裁判終わる―
「メイミヨー」で行われていた戦犯裁判は17日橋本定曹長の判決を最後に閉廷したのに引き続き、今日ラングーンの公判廷も、浜部隊の佐々木憲中尉に20年の判決を下し閉廷した。顧みれば弓部隊のカラゴン事件に始まり、絞首刑、銃殺刑によって死刑が執行された者15名。今なお死刑の宣告を受けて明日にも刑の執行をされるかもしれない戦友9名が西独房で死に備えて、自分の思いを短歌に、詩にと遺書に綴っている。
有期の刑を受けた者は今までに久米憲兵司令官外80名いた。
このような結果で戦犯裁判が終了したことは、暗い所内にもほのかな喜びであった。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」