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世田谷通信(162)
猫草
毎月「つのぶえジャーナル」の校正を手伝っている。かつての誌面ではなく、ホームページ上での掲載という形になって以来のことだ。月に1度、コーナーごとに番号のついたファイルが編集人である父からメールで送られてきて、それをチェックする。つまり更新前の最初の読者というわけだ。この自分の担当原稿を自分で校正しては、他の原稿と比べてなんて違和感のあるコーナー、まるで朝の月のようだと、我ながら白々しさを感じつつ、毎回苦笑している。
今回は、今月の「美しい朝に」さんの原稿に率直に綴られた生活と心情、それを包み隠さず提供してくださる勇気に心が動かされ、原稿の差し替えを申し出た。
「世田谷通信」のきっかけは何か普通の生活を綴った原稿が書けないかという父からの要望に端を発している。最初に書いたものは多摩川の風景スケッチのような文章だった。次男の障害のことが一番の気がかりで、心の大半がそのことで占められていたはずの当時に、なぜその文章が出てきたのかはわからない。以来、折々のことを書いては送り、今回で162回目になる。実は今回のように何度か原稿の差し替えをしている。書いてみても送信しなかった草稿もたくさんある。たいていは感情や物事が整理できず、何かしっくりこないものを感じてのことだ。
私にとってこの原稿はかさぶたのようなものだと思う。薄皮を剥くと血がにじむし、中の液体がこぼれ出てくる。一度決壊すればとめどもなく溢れるかも知れない。それを防ぐ、外界と内面を隔てる半透明の一枚。
大きな怒鳴り声や物音が辛くて、耐えられず、悲鳴をあげることがあるらしい。らしい、というのはその時のことをあまり記憶していないからだ。動悸が激しくなり、呼吸が苦しく、体温が下がり、全身に汗をかいて固まる。しばらくするとふと我に返るのだが、どれぐらいの時間が経過しているのかよくわからない。鬱病、ストレスによるショック症状、乖離、過呼吸、音による過敏。心療内科へ行くとあっさりそんなラベルを貼られる。薬はもらうがいつも症状が出るわけではなく、不穏な気持ちが高まってくると早めに飲んで、家に居るときは横になるか小さくしゃがみ込んで落ち着くのを待つ。
でも寒風の中に梅が咲くように、苦しいばかりではない。大半は通常の生活で、常識人で、仕事もするし家事もできる。外に出れば穏やかに社会常識をもった振る舞いができる。笑顔もあり、美しい、素晴らしいと感じる心もある。
怒鳴られないように、怒りをぶつけられないように、いろんな物事から回避しつつ暮らしていく日常もある。忘れないように、ミスをしないように、たくさんの付箋紙をそこら中に貼って慎重に過ごしている。
そして平衡感覚を保つためにこうして文章を書く。自分を液状にしないための皮膚という名の薄皮。青空の中に白く浮かぶ半月のように、確かにそこにあるけれど、普段はさして害もない。心を保つための文章というかさぶた。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」