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ビルマ 戦犯者の獄中記 (73) 遠山良作著
12月17日
―シンガポールへ出発―
ビルマが英国植民地の支配から離脱して独立することになり、われわれ戦犯者はこの刑務所からシンガポールに移送されることになった。全員90名(内死刑囚は6名)である。過酷な2年余の獄中生活は、悲哀と苦悩の中に、戦友18名を絞首台に送った。今この刑務所を離れことは後ろ髪を引かれる思いである。さまざまな思い出は脳裏に交錯する。あの高い塀、獄の監視塔が見えなくなるまで振り返っては別れを惜しむ。
ラングーン港の埠頭から貨物船に乗せられ、行く先は定かではないがシンガポールらしい。船はイラワジ河を南下する。見え隠れしていた島影も次第に視界から遠のいて行く。
島かげの 白きパゴダ(仏塔)は イラワジの 河面に映して 陽は傾きぬ
行く先も わからぬままに ラングーンの 獄舎をあとに 友等と発ちぬ
12月24日
シンガポールに上陸し、高い塀に囲まれたオートラム刑務所に入る。所持品の検査が終わると死刑囚を除いて直ぐ作業の指示がある。現地の囚人たちに混じってレンガ運びである。12月とはいえ赤道に近いここの太陽の光は強烈である。敷き詰められたレンガの坂道は焼けるように暑いが、歯を食いしばって運ぶレンガは重く肩に食い込む。
灼けつくる 赤きレンガの 坂道を 裸足にて ノルマのレンガ運びぬ
オ―トラムの 獄は怖し 卑屈にも あたり窺い 小声にて語る
12月27日
今日は朝から作業がない。全員集められ、この刑務所に残る者と、再びビルマに返される者とが分けられた。死刑を宣告されていた宮本さんは10年に減刑され、ビルマ組に加えられ、51名はビルマに引き返すことになる。親友田室さんは残留組に入れられる。親しい者との別れは辛く悲しいが、どうすることも出来ない。
残留組の竹下少佐は「久米大佐は実に運の良い人であるからビルマに行く方がきっと良い」との言葉を残して去って行かれた。死刑囚5人を残してこの地を去ることは胸痛む思いである。彼らとの別れの言葉すら交わすことも許されぬあわただしい出発である。
言葉さえ 交わさず別れし 死刑囚 急ぎオートラムの 獄を発ちきて
昭和23年1月2日
再び来ることのないと思っていたラングーンの刑務所に着いた。奇しくも5年前のこの日は、北支那からラングーンに着いた日である。迎えてくれたビルマの看守も囚人たちも「マスターよかったビルマが一番よい」と言って歓迎してくれたことは有難い。余りにも苛酷なオートラム刑務所の数日の生活を顧みて安堵の胸を撫で下ろす。
重壓の 船路を終へて 帰り来ぬ ビルマの牢に はしゃぎつつ入る
容赦なき 英兵と離れて 来し獄の ビルマの人の 意外にやさし
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」