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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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さんびか物語 ・・・37・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・36・・・

           ポーリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌365番

 わが主イエスよ

<神様のみ言葉>

「またこう言われた。『アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、私の願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください』」。 

~マルコの福音書14章36節~

この讃美歌365番、‟わが主イエスよ”は、すべてを神様にゆだねまつるところの服従を、美しく歌っている讃美歌であります。

作詞者のベンジャミン・シュモルクは、シュレージェンのブラウヒッチドルフで1672年12月21日、ルーテル教会の牧師の子供として生まれました。ベンジャミンは優れた才能の持ち主で、小さい時から特別に良い、年齢以上の教育を受けていました。彼は15歳でブレスラウの高等学校に入学し、そこで5年間学んでから、一応、家に戻りました。

家にいた間、父親のすすめで、2、3回その教会の講壇に立ち説教をしました。その結果、彼はライプチッヒ大学に入学する道が開かれました。それは、教会で平信徒でしたが指導的な信者が、まだ若いシュモルクの説教を聞いて、彼の中に立派に牧師に成り得る才能と何かを認めて、大学での費用を出してくれるようになったのであります。

その後、1697年      にライプチッヒ大学を卒業してから、故郷に帰り70歳の父の教会の副牧師として任命されました。1702年にはラウバンの商人の娘アンアート・レィワ-ドと結婚してから、シュヴァイトニッツにあった教会の牧師に招かれました。

当時、この地方は非常に伝道のしにくいところでした。その理由として、1648年に署名された条約(Peace of Westphalia)によって、その地方にあったルーテル教会はほとんど全部カトリック教会の所有となってしまったからです。たった一つだけ残されたルーテル教会、しかも条件付きのものでした。その条件とは、町はずれに建てられ、土と木材の粗末な建物でして、当時、教会には塔や鐘は教会になくてはならないものでしたが、それらは条件の中に入っていて許されませんでした。そればかりか、この教会にいた3人の牧師の活動も非常に制限されていましたし、カトリックの神父からの迫害もありました。このような中にあった教会でしたが、教会員は、この教会の近くにあった36の村からの村民たちでした。

このような状態に置かれていたシュモルクは、35年間のむずかしい牧会・伝道を熱心に、しかも愛をもって続けましたが、彼が58歳の時にとうとう脳溢血で倒れ半身不随になってしまいました。それでも彼は、しばらくしてから、もう一度講壇に上がって5年間仕事を続けました。しかし、再び倒れるとともに疲労のためか白内障にかかり失明してしまいました。このようにしてシュモルクは、寝たままの盲人として65歳で、1737年2月12日天に召されました。

ある人は、その最後によって実に哀れな、と言うかもしれませんが、決してそうではありません。人の目には哀れでも、信仰の勝利者でした。そのように見ることができなければ、彼の讃美の歌は理解できないかもしれません。

シュモルクは、学生時代から詩を書くようになり、彼の手になる讃美歌と聖歌を1183曲ほど作詞し、讃美歌集を16巻出版しました。その後、彼の死後4巻の讃美歌集が追加出版されました。彼はパウル・ゲルハルト(136番など10曲が1954年版の讃美歌に収められている)についで、よく知られているドイツの詩人でした。

讃美歌365番の原作ですが、これは11節からなっていて、1704年に“聖なる炎”という本に初めて発表されたそうです。それが今日では3節だけを取って用いられていますが、原作の1節と5節と11節がそれです。

1954年版の讃美歌には、シュモルクの作品が3つありまして、この「服従」の365番と礼拝に用いられている61番“かがやくみとのよ”と洗礼式によく歌われる200番“いとしたわしき”で、この3つがともに強調していることは、服従と愛と神様との交わりの尊さと言えましょう。

この365番の曲は、カール・マリーア・フォン・ウェーバーの作曲した不朽のオペラ「魔弾の射手」の前奏曲から編曲されたものであります。ウェーバー(1786~1826)は、北ドイツのユーテンで生まれ、両親も音楽家でした。

ウェーバー自身も音楽家になるために多くの素晴らしい先生から学びました。しかし、ドイツの王の兄弟の書記になってから、宮廷で放漫な放蕩な生活を送るようになりました。しかし、彼にも立ち直るチャンスがありました。それは、キャロライン・ブラントという立派な女性と結婚したことにより、まじめな生活に戻り、作曲家としての才能を生かすようになりました。ウェーバーは、モーツアルト、ベートーヴェンと共に、ドイツ・ロマン派オペラの基礎を確立した人であり、カトリック教会音楽も数多く作曲しています。

JEWETTは、ボストンで生まれたジョウゼフ・P・ホルブルクの編曲によるもので、ホルブルク(1822~1888)は、主に讃美歌集の編集・編纂者として知られています。彼は1862年にウェーバーの「魔弾の射手」の前奏曲からJEWETTを編曲しました。この編曲は1954年版の讃美歌では365番の他に285番“主よ、み手もて”に用いられています。

では、シュモルクの美しい歌詞をともに学んでまいりましょう。

<365>                                                        1 わが主イエスよ あいの御手に

    身もたまをも ゆだねまつり

    禍が幸に われ言わまし

    「主よ み意(こころ) なさせたまえ」。

1節以下を考えてまいりたいと思いますが、まず、この讃美歌のテーマは‟主よみ意なさせたまえ”であると言えましょう。日本語訳にも、英語の訳にも、この言葉は1節、2節、3節の、それぞれの締めくくりとして用いられているところからもわかります。もちろん、この背景としてあるのは、残酷な十字架の死に直面しておられる、主イエス・キリストのゲッセマネでの真剣な祈りでありましょう。ルカの福音書2244節には「イエス(主)は苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように、地に落ちた」と記されています。

全人類の罪の重荷を背負おうとする主イエス・キリストの、その時の悲しみ、その時の苦しみはどんなにか大きかったことでしょう。イエス様は弟子たちに「わたしは、悲しみのあまりに死ぬほどです。ここを離れないで、目をさましていなさい」(マルコ1434)といわれました。しかし、いくらたのまれても、彼らは祈りをもって主イエス・キリストを支えたのではなく、その大切な時に眠ってしまいました。少しもイエス様の役に立たない者たちでした。

私たちも、このような弱さを持つ者です。一番大切な時に祈りを忘れてしまう者のようであります。友だちのために、親戚のために、牧師のために、教会のために、とりなしの祈りをどれだけ捧げているでしょうか。私たちが祈らないために、教会はどれだけその発展が鈍り遅れたかを、現実の教会の姿を見ることによって、その事実がわかると思います。

次に、主イエス・キリストのゲッセマネの祈りによって、学ぶべきことが多くありますが、その一つは、神様には“お出来にならないことはありません”という大切な教訓であります。全知であり、全能であられるのが神様です。この神様の愛のみ手に身も魂もよろこんで安心して委ねまつらずして、誰に信頼し、どこに平安を求めるべきでしょうか。時がよくても悪くても、神様を心から信頼し、その導きに従い行くその人こそ、幸いな人であります。

主イエス・キリストは、「どうぞ、この杯(十字架の死)を私から取り除けてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください」(マルコ14:36)と祈られましたが、自己中心の私たちには、このように自分を忘れて「あなたのみこころのままになさってください」と祈る者にされたいものであります。

 2 うれいの雲 むねをとざし

   なやみの雨 袖にかかり

   わがのぞみは 消えゆくとも                                       主よ、みこころ なさせたまえ。

2節での日本語の訳は、とても美しいものであります。この美しい言葉の中に、人生そのものが歌われています。私たちはみな“うれいの雲”につつまれているような時を経験しますし、“なみだの雨”が”袖にかかる“こともあります。主イエスご自身も涙を流された時もありました。しかし、信仰者にとって「希望の星」は決して消えることはありません。

 詩人ダビデは歌いました。「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある」(詩篇30:5)また「涙をもって種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取る」(詩篇126:5)と。                          

 私たちは素直に、そのうれい、その悩みを神様にゆだねるべきです。神様はその愛をもって豊かに慰めてくださいます。イエス様はお約束してくださいました。「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです」(マタイ5:4)。このお約束こそ朝明けの喜びの源であります。

 3 はかなき世を わたるときも

   あまついえに のぼる日にも

   ただみむねに まかせまつらん

   主よ、みこころ なさせたまえ。

3節では、“あまついえに のぼる日”のことについて歌っています。このはかなき世は、私たちの永遠のふるさとではありません。私たちの“永遠のホーム、まことのふるさと”は、主イエス・キリストが用意しておられる“あまつ家”でございます。ですから私たちは,“この世を渡るときにも”“かの世にのぼる日のときにも”ただ“みむねにまかせて”神様が導き給うままに進まなければならない、と歌っています。あなたのために、あまつ家が備えられていることを信じて、主イエス・キリストの贖いによって開かれた、天の門を通って、天の喜びに入るその日を希望をもって待ち望むことができるように今から決心いたしましょう。
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