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世田谷通信(163)
猫草
樹木用のノコギリで自宅の木を何本か伐った。引っ越し以来10年、一度も庭師さんを頼まず、自己流で毎年伸びすぎた分だけを伐っていた。つまりその場しのぎを続けてきたのだが、ふと冷静に見ると、冬枯れのせいだけとは言いがたい、えらく荒んだ光景の庭木たちである。枯れて放置されたハナミズキ。縦横5mにまで成長したアボカド。勝手に生えてくるシュロ。幹の歪んだヒメシャラ。根元が枯れ上だけ茂ったイヌツゲ。ここらでバッサリ伐って一度リセットしたくもなる。
そして分かった。せいぜい直径10cm程度の庭木を伐るのは比較的簡単。大変なのはその後、燃えるゴミとして回収可能なサイズ、つまり幹や枝を30cm以下に小さくするのにものすごく労力と時間がかかる。ちょっと考えたら分かりそうなものだが、伐ってから後悔することしきり。木は空中にあるとそんなに大きく見えないけど、地面にあるとすごく嵩張るんだなあ。
大量の雑木を処理するため、裏庭に落葉溜めを作ってみた。裏山が竹藪なので落葉はたくさんある。伐った木の幹を組み合わせ2m×3mぐらいのミニサイズだが、そこに枝や葉っぱを溜める。里山の落葉溜めなら1~2年でミルフィーユ状に落葉が腐って重なり、下の方は完全に土になっているのだが。さてどれぐらい時間が経てばカブトムシが卵を産みに来てくれるような腐葉土になるのだろうか。落葉樹と違って、笹の葉は腐りにくそうである。さらに生木の枝まで入っている。地面も固く、日当たりも悪い。土と水も混ぜてはみたものの分解されるまで何年かかることやら。
もう一つ分かったことがある。剪定というのは一気に切り詰めると木に大きな負担がかかるので、こういう「ばっさり」は「強剪定」と言って、一番やってはいけないことでした。里山のベテランボランティアさんたちは、腰に付けた鉈でぱしっと不要な枝を伐ったりする。それに憧れて、形ばかりをまねてみたのだが、「剪定は伐られたことが木に分からないようにするものだ」と言われる。うーん、そんなさりげなく?どっちかというと木の息の根を止めたかもしれない。温かくなったら伐った株から脇芽が出てくるだろうか。なんとか萌芽更新してほしい。
長男はこの春から大学に進学し、森林や生態系の勉強を始めることになった。いつか樹木の専門家になって、我が家の庭木の管理もしてくれるだろうか。木も人も育つのはゆっくり時間をかけたほうがいい。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」