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今月のことば
「何事についても、敵対する者どもにろうばいさせられないでいる様子を、聞かせてほしい」。
~ピリピ1:28~
見せかけの華やかさや、誇張された演出には驚くのですが、それが繰り返されることで、その感覚・意識が変化することに驚くことがあります。時々、テレビに映し出される軍事パレードを見て何と、これが平和維持に必要な軍隊であるかのように思う心があります。しかし、それは確実に殺戮兵器であり、集団であることです。そこで起こる事実は「命の軽視」でもあります。
冷徹なほど計算され、陶酔をもたらす演出であることを見抜く力を持たなければならないと思えます。サタンはイエス様にさえ試みるのですから・・・。
使徒パウロは言います。明らかに、キリストの教会には「敵対する者」がいるだけでなく、それが強大な者であることも知っています。だから、ここに「ろうばいさせられないでいる」ことを求めています。「敵対する者・逆らう者」は「命から死」を求めるのです。救い主イエスに「十字架に架けろ」と叫んだ民衆、真実を語ったステパノへの怒りの石の嵐の処刑は「命の軽視と真実への反抗」でした。死を求めて叫ぶ民衆は、堅忍不抜の英雄ではなく、まして怖いもの知らずの者ではないのです。むしろ弱い羊であり、臆病な者たちかも知れません。
キリスト者ははるかに臆病で、死を恐れる者かもしれません。争いに怯え、無力さを知る信仰こそ、キリスト者の強さであるとするなら、なんと幸いなことでしょう。
神の言葉は希望になり、聖霊は、真理を守る勇気をくださいます。「敵対する者に対して」、祈りが、真に人を変え平和をもたらす力なのです。
「ろうばいさせられないでいる様子を、聞かせてほしい」と神は私たちに求めています。「聖霊に信頼する者の信仰者の群れ」には、弱そうに見えても強い、不思議な抵抗する何かが与えられているのです。それは、神以外のものに信頼しない信仰の心なのです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」