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ビルマ 戦犯者の獄中記(74) 遠山良作著
昭和23年1月2日
―ビルマ管理下の刑務所生活―
ここラングーン中央刑務所に監禁されている囚人の待遇は、社会的地位、財産の多寡等によって、ABCに区分されている。英国植民地時代の名残かも知れない。Aクラスは最高の取り扱いを受け、当番もつけられ差し入れも自由である。この一人にボヤナイ大佐(日本軍当時の首相バアモー博士の娘婿)が政治犯で監禁されていた。
Bクラスの食事は白米で毎日魚又は肉類が支給される。
監禁されている囚人の90%以上はCクラスで主に強盗犯である。彼らに一日2回支給される食事は赤黒い玄米飯で、外部では牛や豚に食わせる最悪の米である。副食物として週に1回(金曜日)だけ親指大の豚肉が1片支給される他は毎日豆と野菜汁のみである。
われわれ戦犯者はCクラスであった。食べたことのない玄米飯と豆と野菜汁の食事のため、胃腸障害を起こし、体に不調を訴える者が出だした。当局に待遇の改善を申し出たが、所長の権限外のこととして拒否された。こんな食事でも食べなければ死んでしまうのが獄生活である。こんな生活が数か月続いた。
ある日、ビルマ政府の司法大臣がこの刑務所を視察に来たことがあった。彼はわれわれに要望事項の有無を問うた。われわれは「是非全員をBクラス待遇に改善されたし」の旨を要求した。彼は直ぐその日から准将以上をBクラスにすることを許可してくれた(その後漸次全員がBクラスになった)。
ビルマ当局は所長以下、日本人に対して実に友好的であった。所内にある二百坪くらいの畑の耕作を許可し、そこで収穫した野菜は自由に使用することを認めてくれた。灼けつくような炎天下で作業する一般囚人は裸足で帽子すら被ることは許されないが、われわれには靴、帽子、半ズボン等支給してくれた。
所内での行動も自由で、幾つかある棟から棟を通過する出入り口には看守がいて用件のある者以外は通ることは許されないが、われわれのみ検査もなく自由に出入りすることが出来た。一般囚人の起居している房は一部屋に40人位入っているが、50人足らずのわれわれには4部屋与えられている。
作業は木工班、事務室勤務、農作業(自分たちの副食にするため)、炊事班(自炊のため)に分かれているがすべての作業場に監視員はいない。すべて自分たちで計画し作業するのである。
このような寛大なビルマ当局の好意に報いるべく、時には2時間の昼休みすら返上して働いた。彼らには奇異の目でわれわれの行動を見つめ、信頼の度を深めた獄の生活である。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」