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ビルマ 戦犯者の獄中記(75) 遠山良作著
―結核で入院―・・・1・・・
6月(昭和24年)、長い牢獄生活からの疲れであろう、軽い作業でも疲れを覚える。作業を終えて二階の房に帰る階段を昇ると息苦しく休んでは昇る。疲れている者は私ばかりではない。誰でもみんな疲れているのだと心に鞭打って休まずに作業を続ける。作業は戦争により手入れも出来なかった老朽化した家屋の取り壊し、パンを焼くかまど作り等当局から命じられた一般作業班である。
ついには歩くことすら苦しくなったので、医務室に診断に行く。体温は38度である。休養を許され、その日は房に帰り、布団を敷いて休んだ。その午後。急に頭から血の気がス~と引いて行くような気がしたと思うと、真っ暗な深い穴に中に落ちて行く。その瞬間「ああ俺は死ぬんだ」と思った。そのまま気を失ってしまったのである。
それからどれくらい時間が経ったのか知らないが、気が付いて見ると枕元には監獄の医師と心配そうに私を囲んでいる友の顔があった。「ああ死ななかったのか」と思う。起き上がろうとしても、まるで力が出ない。「無理するな寝とれ」と友は言う。立って便所に行くことすら出来ない。
そのまま担架で刑務所内にある病院に入院をした。病院と言っても角材の格子に囲まれた部屋に寝台が並べてあるだけである。50人位の現地人が入院していた。入院患者は作業が免除される。一日一回医者の回診はあるが薬もなく、ただ寝ているだけである。仰向けになると格子の間から見える白い空はまぶしくて目を開けていることが出来ない。布で目を覆いながら寝るのである。熱を測ると37度5分から38度よりなかなか下がらない。着ているシャツは寝汗のためにびっしょり濡れてしまう。一日に何回も着替えなければならない。
昼の休憩時間と、作業が終わると主に桧垣君が交代で汗に濡れたシャツの洗濯や一日二回の食事も運んでくれる。「遠山君今日はどうかな」とやさしく声をかけて来てくれる。そして、その日にあった出来事を話してくれる。
彼らが来る時間が待ち遠しい。こんな入院生活が何カ月も続くが、病状は一進一退で病名もはっきりしない。医者は熱があるからマラリヤだとの診断である(後日、日本に送還され巣鴨拘置所でレントゲン検査の結果肺結核であったことが判明した)。
なかなか回復しないはなはだしい貧血状態の病状を友はみんな心配してくれる。B級扱いを受けている戦犯者に支給してくれる副食物は現品を支給してくれる。これを炊事当番が調理する。鶏やあひるは生きたまま支給してくれる。その肝臓は栄養があるからといって私のために特別に料理してくれた。時には作業中に捕まえたサソリは、猛毒があるからきっと薬にもなるだろうといってサソリの黒焼きも食べた。味はないが、その友情を噛み締める。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」