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さんびか物語 ・・・39・・・
(広く愛唱されている50曲)・・・38・・・
ポーリン・マカルピン著
(米国南長老教会婦人宣教師)
讃美歌391番
ナルドの壺
<神様のみ言葉>
「イエスがベタニヤで、ライ病人シモンの家におられたとき、食卓についておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ」。
~マルコの福音書14章3節~
奉仕についての素晴らしい、そして美しい讃美歌391番“ナルドの壺”の原作者はエドウィン・パント・パーカーです。この讃美歌は、彼の故郷のアメリカでよりも日本の国の方でよく知られ、愛唱されていると思います。
パーカー(1836~1925)は、アメリカの東北にあるメイン州のカスティンという町に、1836年1月13日に生まれ、後にドーウドィン・カレッジとバンカー神学校で教育を受けました。卒業後、組合教会の牧師となり、50年の長い間コネチカット州のハートフォード市のセンター教会(中央教会)の牧会に力を注ぎました。
めずらしいことですが、パーカーは56歳になるまでは、讃美歌は一曲も作ったことがなかったのですが、この年のスタートとして、89歳で召される1925年までに、なんと200ほど作詞・作曲しました。そのうちの一番歌われているのが、この讃美歌“ナルドの壺”であります。
この讃美歌は、歌詞・曲ともパーカー牧師の作品で、1888年に作られたものであります。この歌詞は、パーカーが中央教会での、ある日の説教の締めくくりとしてこの詩を作ったものであります。
曲LOVE’S OFFERING (愛の捧げ物)は、歌詞が作られて作曲され、翌年の1889年に The Christian Hymnalという讃美歌集に初めて発表されたものであります。
パーカーは音楽に対して強い興味を持ち、中央教会の牧師だけでなく、聖歌隊の指揮者としての責任をも果たしていました。そのような関係から讃美歌の歌詞・作曲・編曲という広い範囲に才能を持っていましたし、讃美歌集の編集などもしていました。
奉仕の尊さを中心に歌っています歌詞をともに考えてまいりましょう。
<391>
1 ナルドの壺 ならねど
ささげまつる わが愛
みわざのため 主よ、潔めて
うけませ。
1節ですが、最初の言葉の”ナルド”とは何を意味するのでしょうか。聖書辞典によりますと、ネパール、ブータン、チベットが原産で、おみなえし科の多年草で、根茎の部分から優秀な香料が採れ、これを石膏の箱に入れて遠路を運ばれていてとても高価なものとされていました。
おもしろいことですが、原作では”ナルドの壺”ということばそのものは用いられていません。パーカーの歌詞では“主よ、私たちはマグダラの(マリア)のように香のよい値段の非常に高い持ち物をあなたに捧げることが出来ません。しかしながら、どうか、私たちの愛の香のように、いけにえよりもかんばしい香をあなたのみ前に放つように”と歌っています。
原作では、“マグダラ”という名前が用いられていますが、これは、昔からの誤れる伝統によったもので聖書的ではありません。日本語訳の方が聖書に近いものとしなければなりません。
マタイの福音書26章6節~13節やルカの福音書7章36節~37節に記されている「ひとりの女がたいへん高価な香油のはいった石膏のつぼをもってみもとに来て、食卓についておられたイエスの頭に香油を注いだ」この女とはベタニヤのマリヤと言われ、ルカの福音書8章2節の「七つの悪霊を追い出していただいたマグダラと呼ばれるマリア」とは別人であることを知っていただきたいと思います。
ですから、原作にある“マグダラ”という言葉は不適当としなければなりません。また、新約聖書には6人のマリアが登場していますので、それぞれをご自身で確かめるもよいことと思います。
この讃美歌の背景にある出来事ですがマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネと4つの福音書にそれぞれしるされていますから、それぞれの箇所をお読みになってください。場所はベタニヤという村に住んでいたシモンの家で、イエス様のために晩餐をひらこうとしているところです。ラザロの姉妹マルタは、そこで給仕をしていました。もう一人の姉妹マリアは、非常に高価なナルドの香油の入った石膏のつぼを割って、イエス様の頭に注ぎ、また、足に塗り、彼女の髪で足をぬぐったことが記されています。
そこにいた何人かの客のうち、特にイエス様を裏切ろうとしていた弟子の一人のイスカリオテのユダが、それを見て憤慨して「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。この香油なら、300デナリ以上に売れて、貧乏な人たちに施しができたのに」と言ってマリアを責めました(マルコ14:4~5)。しかし、ユダがこのように言いましたのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であった、とヨハネの福音書12章6節に記されています。
イエス様はマリアを責めていた人々に「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。・・・埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。まことにあなたがたに告げます。世界中のどこでも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人の自らした事も語られて、この人の記念となるでしょう」(マルコ14:6~9)と語られました。
イエス様は、これにまさるお褒めの言葉を他の誰にもお使いにならなかった
と思います。私たちも、彼女の愛の業に教えられて、よき業に励みましょう。自分の出来ることを必ず実行することであります。
2 よわき民に ちからを
おぐらき世に ひかりを
あたえて主の たかき御旨
なさばや。
3 怖(お)ずるものに 平和を
なげくものに のぞみを
わかちて主の ふかき恵み
あらわさん。
2節と3節では、実際に私たちに出来るような愛の業を、具体的に示しそれをなすようにという勧めを美しく歌っています。もちろんこの業は、いつもみ旨にかなうように、また、主の深き恵みをあらわすためのものであることを、常に祈り求めるべきであります。
愛の業、それは、弱き民に力を与えること、おぐらき世を光で照らすこと、怖れる者に平和を与え、嘆く者に望みを分かちあたえることであります。それと同時に、クリスチャンにとって大切な務めは、迷っている人々を、まことの神様に主イエス・キリストへの道に導くことであります。この伝道についての言葉は、日本語訳にはありませんが、原作にはあります。
ですから、ここでやはり覚えることは大切と思います。
4 この世のわざ おわりて
あまつ国に かえらば
主よ、みまえに 仕えまつらん
ときわに。
4節ですが、原作と日本語訳とでは少し違います。原作でパーカーが強調していることは、「この世の夕暮れまで、勤勉に主のために奉仕が出来るように」とはっきりと歌っていることであります。そうして「私たちがこの世での勤めが終われば、どうか、安らかに神様のみもとに去って行けますように」と歌うのであります。
この4節の歌詞は、人生の一コマ一コマの中に神様を認め、ただ神様への愛と奉仕に生きようとする信仰者の姿を見る思いがいたします。日本語訳にありますように、私たちのまことのホームである、あまつ国に帰って永遠に神様に仕える喜びが歌われていますが、私たちの喜びが、実にここにあることを覚えて、この世の戦いに勝利いたしましょう。愛と奉仕こそクリスチャンの大切な宝であります。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」