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世田谷通信(167)
猫草
別の環境保全ボランティア活動に誘われ、そちらにも行ってみた。こちらは人数も多く、調査も野草、昆虫、水生生物、きのこ等グループに分かれて本格的。フェノロジー(開花調査)、コドラート(区画植生調査)と言った専門用語も使われている。議事録や報告書はきっちり、専門家もたくさんいて、とても厳密。こっちに最初に入っていたら続かなかったかも、とやや引き気味。保全を巡って意見が対立し、「それは違う!」や「そういう意味じゃない!」と白熱してくるし。メンバーの半分ぐらいは顔見知りだが、場所が違えば表情も意見も違っている。いろいろあるんだね、と眺めている。
要するに、公開されて人が日常的に利用することが前提か、非公開で保護すべきかの違いなのだ。前者は外来種だって入ってくるのは仕方ないし、持ち出されることもある。諸々の変化が受容されている。里山は近所の人たちが入会地として皆で共同管理する場所。枝を払い、竹を伐り、タケノコや山菜をとり、水を田んぼや畑にひいたり、橋や通路が壊れていたら気がついた人が修理する。よかれと思ってやった結果が、プラスもマイナスもあって緩やかに変化しつつ保たれている。
でも保護区の場合は、基本方針や年間計画、年間目標があり、その範囲内で活動するという縛りがある。変化を加えたい場合は、それが及ぼす影響や生態系全体のバランスを考慮しながら、という感じ。
議論を聞いていると、生態系を守るって何なのかなという素朴な疑問が湧く。土壌の無数の菌から、水や木や植物や生物の複雑きわまりない繋がりのうち分かっているのはごく一部なのに。ヒトが議論している間に木は茂り、草は競争を続け、生き物もその命をつないでいる。益も害も誰の視点なのか、角度が変われば万華鏡のようにその形を変える。
先日、家のスイートピーにアブラムシが大量についたので、公園からテントウムシを1匹スカウトし「好きなだけ食べて」とお願いした。彼(彼女かも)は数日スイートピーをせっせと歩きまわってはアブラムシを捕食して全滅させ、仕事は終わったとばかりにどこかへ羽ばたいていった。私とスイートピーはほっとして、テントウムシは満腹。アブラムシには大災厄だろう。ヒトにできるのはその程度の生態系への関与が関の山ではと内心思っている。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」