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「ローマ人への手紙研究」
第79課 キリスト者生活の実践的義務
=12:1~15:13=・・・30・・・
B キリスト者の市民的義務・・・16・・・
13:5~7・・・15・
「為政者に対するキリスト者の正しい態度」・・7・・
政治的不同意を唱えると言う改革長老教会の立場に対して、ローマ13:1~7が持つ意義を考えるに際して、避けなければならない第二の誤りは、この聖書の言葉は現代のキリスト者ではなくて、将来に実現されるべき理想的なキリスト教国家に適用されるべきものであるとする見解です。
この見解を取る人たちの論は、パウロが神とキリストとを正しく認識していない不道徳な政治に服従せよなどと、キリスト者に命じるはずはないと言うものです。このローマ13:1~7は、明白に、政府への服従を命じているのですから、パウロの意味する所は、キリスト者は未来に実現するキリスト教的政府に服従すべきであるということに相違ないと主張します。
私たちは既に以前に、このような解釈は不可能であることを第74課で指摘しました。パウロは「現在存在している権威」のことを語りました。ここの「上に立つ」「存在している」の原語(ウーサイ)は、現在分詞形であるであり、パウロはこの書簡を書いていた当時に存在していた権威以外を意味することは有り得ないことです。74課で学んだことをもう一度繰り返しますと、パウロがここで論じていることは、為政者の支配する権威のことでも、また邪悪な支配者への服従の正当な服従の限界のことでもなく、上に立つ為政者に服従することはキリスト者の義務であるという単純な原則なのです。
為政者が邪悪な人物であれば、その政府を取り除いて、代わりにより良い政府を立てることは、神のご計画であるということも完全な真理です。キリスト者が為政者に対してしなければならない服従に明確な限界があることも全く真理です。しかし、パウロが教えていることは、現在、上に立っている為政者が、神の摂理の中に存続している限り、彼らに服従することが、キリスト者の義務であるという根底的な真理でもあります。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」