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ビルマ 戦犯者の獄中記(78) 遠山良作著
―信親友―
巣鴨にはキリスト教徒を中心に、信友会なる群れがあった。その大半は獄中でキリスト教を知り入信した人たちであった。礼拝は毎週土曜日の午前10から、アメリカの従軍牧師ダットン師の説教を、中田善秋(カナダ生まれの神学校出身の戦犯者)が通訳をして礼拝が守られていた。出席者は4、50名位であった。日曜日の午前は新約聖書研究会、午後は旧約聖書の学びがあり、私はすべての集会に出席した。この年の12月23日、クリスマス礼拝にて、中田先生のすすめもあり、ダットン牧師によって受洗することが出来た。
戦争→敗戦→戦犯→牢獄の10数年間、生きてきた苦しみ、悲しみの涙の中に真実を見出し、奇しき神のみ業により、その恵みを知り得た喜びの感謝の祈りを捧げる。
もし私に戦犯者として試練がなかったなら、神のみ恵みも知らずに人生を真剣に生きることすら考えることなく、自堕落な生活を送り、この生涯を終えることだと思う。
巣鴨での生活の一端を、一人のキリスト者に、次の手紙を書いて送った。
坂出市 渡辺美津枝姉へ
「中田先生より貴姉のことはいろいろと賜わっております。―中略―講和条約も間近にせまり、日本も独立国としてやがて一人歩きすることになるでしょう。当所(巣鴨拘置所)も4月1日から日本の管理下に移され、手紙も週に2回出すことが出来るようになりました。
教会の礼拝も米軍の従軍牧師に代わって、関屋正彦先生と稲葉好延先生が交替で説教してくださることなりました。今週の説教は「9つの福音」(マタイ伝5章)でありました。牢獄の生活と聞けば誰でも惨めな生活を想像されると思われますが、私たちキリスト者は主イエス・キリストの豊かな恵みにより喜びと感謝の日々を送っております。―中略―。
私は戦犯者としてビルマの獄中において死との対決をせまられ、あるときは病魔に侵され、死線をさまよいつつ、目に見えない神様に救いを求めつつ、叫び続けたとき、一冊の聖書が与えられました。懸命に読みましたが,聖書に書いてある奇跡はどうしても信ずることが出来ませんでした。この聖書から奇跡だけを抜いてあったらこんな素晴らしい本はないとも思いました。時には片隅でほこりにまみれていたこともありましたが読む本がない獄の生活であります。幾回も繰り返して読んでいる間にすべてを創造された全能の神のみ業であるならば、すべてをなし給う神であることを知り、主なる神を信じるようになりました。
それからは、傲慢なる過去の生活、罪の自覚にさいなまれ、悔い改めの涙で幾夜も枕を濡らしたのであります。悲しみの涙の中にこそ真実があり、神の存在を知り得たのであります。このような過去を持つ一人として世界の平和を願わずにはいられません。去る復活節の夜、信友会に対する研究会の第一回目の集いを行いました。参加者はわずか4人ではありましたが、真実の平和は神によってのみ果たされることだと思いました。
今の日本の現状はどうでしょうか。再軍備こそ国を守る唯一の手段であるとの声も聞こえてきます。米国もソ連も互いに軍備を拡張し、軍備こそ平和への道なりと美しい言葉によって武装への道を歩みつつあります。朝鮮動乱は今や日本をもその渦中に巻き込まんとする情勢であります。敗戦の苦悩を身をもって体験し、戦争憎悪の情はかかるわれわれにこそ強烈であります。
いかなる主義も思想も永久に平和をもたらすことの出来ないことは過去の歴史が、はっきりと示しております。人類の歴史は闘争の歴史でもありました。
神様に救われた一人として、つねに主の十字架を仰ぎつつ、また神の御意志はなんであるかを問い続けて歩みたいと願うものであります。このことを覚えお祈りの中に加えてくださるなら幸いと思います。―中略―。」
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」