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今月のことば
神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためである。
~Ⅱコリント5:21~
暑い夏の日々の疲れが、秋の気配と共に出てまいります。秋の虫の声を聴きながら、神様の愛に心を向けましょう。皆様の日々の生活の上に神様のお守りが与えられますように、お祈り申し上げます。
イエス様の救いの恵みは、このみ言葉に無限に示されています。イエス様が罪の贖い主としてだけでなく、救い主であられることを、この短いみ言葉ほど余すことなく示されているところは、少ないと言えます。
イエス様が私たちの代わりに、神の御前に出たという事実を認めることが、どんなに困難に思えるかということは、不思議なことです。イエス様が神の愛を、その苦難と死によって示してくださったことは筋が通り、偉大なことであると私たちは考えます。しかし、イエス様が私たちのために罪人とされ、私たちがイエス様にあって神の義とされるためであるということ、―この事実と真理を多くの人は受け入れないのです。
イエス・キリストをそのなさったことが、私たちの救いについてであることを知らないならば、それは全く残念であり、人生の最大の損失です。生にも死にも私たちの立つ唯一の基礎・土台は、十字架上のキリストのお姿なのです。主は救い主として、私たちの罪のために死に、私たちの義のために甦ったこと、これこそが私たちの救いの希望の基盤であります。
これを聖霊の導きによる信仰によって得ようではありませんか。神様から賜った救いの恵みを、日々の、人生の基としようではありませんか。
季節の恵みも恵みです。しかし、永遠への恵みではありません。虫の声が慰めになっても、真の慰め、希望にはなりません。
「今月のことば」は、本当の慰めは、神の愛のみであることを、私たちに語りかけています。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」