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「あなたに聖書を」
「キリスト教百話」・・・59・・・
問22 「救い」ということが「罪と死からの解放」を意味するものであることは分かりましたが死からの解放としての「復活」については、どうもよく理解できません。
答・・2・・
キリストの復活という出来事の以前に、キリストが死者を復活させられたと言う話がヨハネ福音書に記されています(11章)。それはラザロという男が死んで墓に入れられ、死後4日経っていたのに、イエスが「ラザロ、出てきなさい」と大声で叫ばれたところ、ラザロは起き上がって墓から出てきた、という話です。イエスがラザロを生き返らせた話として有名です。
この話をどう受け止めるか、どう説明したらよいか、難渋します。人によってはラザロは仮死状態だったと言いますが、死んでから4日も経ってのことで匂ってもしたと言いますから正真正銘の死であったと言えます。
キリストの復活の場合は、それがキリストだとは分からなかったと言いますから、復活ということは生きていた時の姿の延長態ではなかったのですが、ラザロの場合はそれと分かる仕方での復活でした。その後、ラザロはどうなったのか、戸籍簿にどう記載されたか興味を惹くところですが、死んだ人が生き返る経過の観察記録など皆無ですから事態の説明のしようがありません。ただ、この話の中で考えさせられることは、ラザロが死んだことを、その姉妹たちが泣いているのをキリストが見て、心に憤りを覚え、興奮された、と言うことについてです。
普通親しい人が死んだ時、泣きはしますが、憤って興奮すると言うことは先ずありません。がイエスは憤られた、というのです。これは私の解釈になりますが、この憤りは「ラザロをこのままにしておいてなるものか」と言う激しい思いからであり、これがラザロを生き返らせる力となったのだと思うのです。
事実、わたしたちも愛する者を失った時、「死なせっ放しにさせてはおかない」という思いがあって、それが死者を今に生き返らせているという事実があるのではないでしょうか。それが死者に対する愛であり、この愛の中へ死者は何時も甦ってくるのではないでしょうか。
そういうことを思うと、ラザロの死に対してはイエスの、イエスに対してはその父なる神の愛が、死の壁を破って、新しく生かす力となって現れるのは、むしろ当然のことではないかと思われるのです。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
<2017年11月のラジオ放送予定>
11月 5日 高木総平 (岐阜済美学院総主事・中部学院大学宗教主事)
12日 高木総平 (岐阜済美学院総主事・中部学院大学宗教主事)
19日 志村 真 (中部学院大学短期大学部宗教主事)
26日 西島麻里子(済美高等学校宗教主事)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」