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さんびか物語 ・・・44・・・
(広く愛唱されている50曲) ・・・43・・・
ポーリン・マカルピン著
(米国南長老教会婦人宣教師)
讃美411番
すべしらす神よ
<神様のみ言葉>
「こうして、私はこの日に至るまで神の助けを受け、堅く立って、小さい者にも大きい者にもあかしをしているのです。そして、預言者たちやモーセが、後に起こるはずだと語ったこと以外は何も話しませんでした」。
~使徒の働き26章22節~
新しい年を迎える者に素晴らしい力と希望を与える讃美歌の一つは、この“すべしらす神よ”であると言えます。
この讃美歌のストーリーは、新しい年を迎えようとしていた作詞者フィリップ・グッドリッジが、使徒パウロのアグリッパ王の前での大胆な弁明の箇所を読んで、大いに感動させられ、新年のために“神より得たる助けである”と言って讃美歌を書いたそうであります。
彼は、ある商人の20人の子供の末っ子で1702年6月26日にロンドンで生まれました。彼のお母さんは、信仰の迫害のためにヨーロッパからイギリスへ亡命したルーテル教会の牧師の娘でして、信仰の熱心な婦人でした。残念なことにフィリップは、まだ若い時に両親を亡くしました。ヘッドフォドにいた公爵夫人が彼を国教会の神学校へ行くための援助を申し出ましたが、それを断りキプワスの非国教会の神学校を卒業してから同地の教会の牧師となり、素晴らしい働きをいたしました。
1729年ノースハンプトンに移り牧会のかたわら神学校を開き、その学長として22年の間に、彼のところに学びに来る200人以上の学生たちをイギリスやスコットランド、オランダの主に非国教会の牧師として送り出しました。彼は偉い学者でもありましたから多くの著書も出版しています。また、讃美歌も400以上も作詞しましたが、出版のためではなく、説教を強めるために自分の教会だけで歌われていたものでした。ですから、彼の死後の5年後の1755年までは出版されていませんでした。しかし、その一巻に出版された中のあるものは英語讃美歌の傑作中の傑作と言えるものでもあります。
1954年版の讃美歌にも彼の作品は5つありますが、どれも広く愛唱されているものばかりです。その中でも112番の“もろびとこぞりて”は特に有名であります。彼はもともと健康には余り恵まれていませんでしたので、一番活躍できる年齢の時に結核になりひどくなるばかりでした。それで友人たちがポルトガルのリスボンで静養し、気候に恵まれた地で回復を願い同地で過ごされましたが、結果は思わしくなく、1751年10月26日に49歳の若さでリスボンで召されました。
この讃美歌の曲LOUVANは、アメリカ人の作曲家ヴァージル・C・ティラーによるもので、“すべしらす神よ”の収められている讃美歌集が出版されたおおよそ70年後の1846年に書かれたものであります。
ティラーは、1817年4月2日にコネチカット州のバーカムステットで生まれました。彼は1620年メーフラワー号で新大陸に渡り、自治体の組織を宣言(Mayflower Covenant)したエルダ・W・ブリュースターの直系の子孫でもありました。
彼は幼少の時から音楽的天分の持ち主であったため、父親はその才能を伸ばしてやるために、大型の教会用パイプオルガンを自宅に備え付けたそうです。彼のオルガンの演奏法は技術をみがきながら、多くの作曲もしておりまして、当時の有名なトマス・ヘィスティングス(讃美歌260番や384番をご参照ください)やロウエル・メイスン(讃美歌62番や320番をご参照ください)の影響を受けて、音楽教育に興味を持ち、方々の学校で音楽を教えました。
さらにコネチカット州、ニューヨーク州の教会のオルガニストや合唱団の指揮者として、最後にはアイオア州のデモインの聖パウロ教会のオルガニストとして74歳の生涯を終わっておりまして、文字通りオルガンと共にの生涯と言えましょう。
ティラーは音楽の本を6巻ほど編纂し、アメリカ讃美歌の発展に貢献しております。曲LOUVANは、トマス・モーア(讃美歌399番をご参照ください)のために作曲されたもので、特に気品のある旋律として、アメリカではいろいろな歌詞に用いられ広く普及しています。
神様のお恵みとみ助けとお導きを願いつつ、この讃美歌を共に味わってみましょう。
<411>
1 すべしらす神よ ときわにみちびく
み手のおおみわざ われらほめたたう。
1節で作詞者は、すべてを治め給い、すべてのことをご存じであられる神様のお導きとみ業をほめたたえています。昔、ダビデは、神様が全知全能であられることを深く知って、次のように歌っています。
「主よ、あなたはわが歩みをも、伏すをも探り出し、わがもろもろの道をことごとく知っておられます。わたしの舌に一言もないのに、主よ、あなたはことごとくそれを知られます。あなたは後から、前からわたしを囲み、わたしの上にみ手をおかれます。このような知識はあまりに不思議で、わたしには思いも及びません。これは高くて達することはできません」(詩篇139:3~6)。
私たちが常に心していなければならないことは、神様のみ前で日々を送っているということ、行ないや言葉が本当に神様をほめたたえ、喜ばしめるものであるかを深く考えることであります。
2 あたらしき年は 主の愛をしめす
めぐみはたえせじ 年のおわるまで。
2節では、目を新しい年に向けてさせ“あたらしい年は 主の愛をしめす”ものであると歌っています。主の愛と恵みがなければ、新しいスタートはありえのであります。その真理を、ペテロの手紙第2・3章9~10節が示しています。
「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きを立てて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます」。
罪人なる者には明白でないのですが、神様の忍耐を本当に知って、悔い改めて、審きの日、滅びの日の来ないうちに、神様に立ち帰ることこそ2節の中心的メッセージであると思います。
3 いえにもたびにも よるひるわかたず
みめぐみをうけて この年をすごさん。
4 われらのゆくさき さだかに見えねど
みちびくひかりに 身を委ねまつらん。
5 禍幸(まがさち) よしあし ゆきかうなかにも
われらのよろこび やすきは主にあり。
この讃美歌の後半の3節から5節では、神様に対する絶対的信頼を告白し一日一日を神様に全く委ねまつる信仰者の姿を歌い上げています。特に4節で“われらのゆくさき さだかに見えねど みちびくひかりに 身を委ねまつらん”と実に美しく歌っています。また、3節から5節では、いろいろの言葉の対照をもって、神様の私たちへの愛を示し、共にその愛に答えて信仰を、より一層確かなものになさしめようとしてもいます。
たとえば、“家にも旅にも”“夜昼”“見えねど光”“禍幸(まがさち)”“ゆきかう”などで、どのような状態に置かれても、どのような悩みや失望に襲われ陥っても、神様に身を委ねる信仰者は、気落ちすることなく神様を信頼し神様の導き給うことに確信をもって、従いゆくことを喜びをもって歌っています。
読者の皆様、あなたの喜び、また、あなたの心のやすらぎは、ただ主にのみあるということを心にとめて、主イエス・キリストの十字架に目を留め永遠のみ国を目指す今日であり、明日でありますようにおすすめいたします。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」