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小閑記
わが魂よ、お前の平安に帰るがよい。主は豊かにおまえをあしらわれたからである。
~詩篇116:7~
私たちの心の平安は本当にもろいものです。大きな出来事に出会うこと以上に、身近に起こる日常の些細な出来事に、心が小さくなるものです。その原因は、人間の未熟さ、不完全さにあるかのように思われますが、実は聖書は、サタン(悪魔)が地上から、人の心から平安を取り去るために、あらゆる手段を尽くす、と言います。サタンは神の聖徒を苦しめることに楽しみを見出し、サタンが面倒を起こすことが出来る時に、サタンの持つ矢は鋭く、毒を持っているその矢で攻撃してくるのです。
サタンの攻撃には微塵の憐みもなく徹底的です。巧みに、攻撃を受ける者の自分の弱点・気質に取り入り、短気で怒りやすい者は、キリスト者であっても、舵のない船のようにさ迷うのです。
真剣に神による平安を失いたくないと願う人は、よくよく注意しなければなりません。
魂の平静を失わせるものに、「失敗の生活」があります。この世で身を立てたいと定めた目的を達成しない時、また幸福を与えるだろうと考えたことが、損失、恥辱、不名誉などをもたらした時、そういう時にキリスト者でも神への信頼が弱められます。
冒頭の詩篇の作者は、こういうことの中に巻き込まれたのです。しかし今や、作者はすべてのことを異なる角度から私たちに見せます。
「主は豊かにおまえをあしらわれたからである」と。そして、自分の魂に神による平安に帰るように命じるのです。
この勧めは、目先のことではありません。自分の生涯の回復なのです。「主は豊かにあしらわれる」のです。この神による愛の「あしらい」に生きようではありませんか!
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」