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第81課 キリスト者生活の実践的義務
=12:1~15:13=・・・33・・・
D 聖い生活を送るべきキリスト者の義務 ・・13:14・・
「夜はふけ、日が近づいている・・・・」(13:12a)
ここで言われている「夜と日」とは何かを考えてみなくてはなりません。一つの解釈は、「夜」とはユダヤ人たちがキリスト教を迫害することが可能であった時期を意味し、「日」とはAD70年におけるエルサレム陥落と共に来る新しい時を指すとする考えです。しかし、この解釈は余りにも狭すぎて文脈に合いません。その上、ユダヤ人の迫害の終結は初代キリスト者にとって本当の助けとはなりませんでした。その理由は、その迫害が終わると共に、引き続いてローマ帝国による長期にわたる、更に過酷な迫害がやって来たからです。
もう一つの解釈は、「夜」は現在のキリスト者の生活を指し、「日」は、永遠の生活を指すとするものです。この解釈は、先の解釈に比べて説得力があり、部分的には正しいと言えましょう。
第三の解釈は「夜」は、人間の堕落以来のこの世界の歴史を指し、「日」は罪とは絶対的に無関係な永遠の世界を指すとするものです。「日」「主の日」「かの日」など、パウロ書簡や聖書の中の用法を考慮すると、この第三の解釈が最も正当であると考えられています。
従って、「夜は更け、日が近づいている」という言葉の意味は、「この富の成果の長い歴史は終わりに近づいている。そして新しい永遠の時代の夜明けが近いている」ということです。勿論、これはキリスト再臨の実際の時が近づいているかを知るのに、ある手掛かりを提供するということではありません。「その日、その時は、だれも知らない」(マタイ24:36、マルコ3:32)のです。パウロ自身も現代の私たちが知っている以上のことを知ってはいないのです。それは人間には啓示されていないからです。ここで意味されていることは、私たちのカレンダーの時において、再臨が近いということではなく、聖書の歴史観による近さを意味しているのです。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」