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「あなたに聖書を」
「キリスト教百話」・・・60・・・
問22 「救い」ということが「罪と死からの解放」を意味するものであることは分かりましたが死からの解放としての「復活」については、どうもよく理解できません。
答・・3・・
キリストの復活を現象として納得出来るように説明することは出来ませんが、神の愛の力は死者を今に生かし、しかも永遠である神の命の中へ生かしてくださったことは信じられるし、信じてよいことだと言うことが出来ます。永世といい、不死といい、不老長寿と言いますが、それは、愛されている喜びがあって意味があることであって、愛のない世界へは生き返るにも生き返りようがないというものです。
キリストの復活は、以上の意味において、死者を「死なせたままにはさせておかないぞ」という神の愛の力を示していることとして、キリストを信じる全ての人に示されている秘儀であるということができます。
「復活」を「生き返ること」のように思う人は「そんなことはありえない」と言われるに決まっています。その通りでありまして、生き返るのであれば、完全に死んではいないからであります。そして、「死ぬ」ということは、生き返ることのない事態であるからです。「復活」という字は「また生きる」ということを意味しますから、「再生」と同じように受け止められるかもしれません。が、そうではありません。「死」は全く「生の断絶」でありまして、その先に何かに連続されたり、新しい何かが生み出されるということではありません。「虚無の深淵」に落ち込んで終わりです。
聖書が伝える「復活」は、「神による創造」というべき出来事でありまして、こういう出来事を実現させる力のことを「神の大能」といいますが、この力によって、死んだ者に、まったく新しい命を与えられて、この命の支配の中に置かれることであります。それが「死んで、葬られ陰府に下ったイエス」を死人の中から甦らせたことにおいて示された出来事であります。
「そんなことがあり得るか」というのが、すでに述べたように万人の思いであります。しかし、この驚天動地とも言うべき出来事がイエスにおいて起った、言い換えれば、神はイエスを復活させたことを信じるということから、キリスト教が始まっているのであります。それは、この信じ難きことを信じさせる力を神が与えられたからです。
そういう意味からすれば、クリスチャンもキリスト教会も、神のよる創造の業の実現の印ということが出来ます。以上のようなイエス・キリストにおいて示された神の力とその支配を信じることによって「すべてのことを御手に委ねます」ということが出来るのであります。これが、キリスト教が「イエス・キリストによる啓示の宗教」と言われる理由です。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
<2017年12月のラジオ放送予定>
12月 3日 山田詩郎 (日本基督教団名古屋北教会牧師)
10日 山田詩郎 (日本基督教団名古屋北教会牧師)
17日 草地大作 (日本基督教団名古屋中央教会牧師)
24日 草地大作 (日本基督教団名古屋中央教会牧師)
31日 横山良樹 (日本基督教団半田教会牧師)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」