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世田谷通信(171)
猫草
普段は半径2kmぐらいのエリアで暮らしているのだが、たまに出かけると世田谷の住宅街にもいろんな風景があるなあと思う。例えば世田谷に深沢という場所があり大邸宅が多いのだが、コンクリートの壁に囲まれて、塀の上には防犯カメラ、要塞のような威圧感がすごい。うっかり野球のボールをとりに入ったら瞬間的にレーザーで焼かれそう。あくまでイメージですけれど。どなたが住んでいるのやら。
しかし成城界隈のお屋敷は低い生け垣と庭の木々に包まれて洒落た家屋がのぞくのが昔からのスタイルである。昭和の初めに成城学園が移転し、小田急線が開通し、住宅開発が始まったときに、敷地内の樹木をできるだけ残すことと、生け垣が推奨されたらしい。また和風住宅には松、洋風住宅にはヒマラヤ杉を植えていたようだ。
そんな街並の一角、崖沿いの高台に一軒の住宅がある。時々前を通っては、なんだか素敵な建物だなあ、庭は荒れ放題で誰も住んでいないようだけど・・、と気になっていた。それが今年文化財として修復が済み、一般公開されたのである。さっそく中をのぞいてみると、ステンドグラスが玄関ドアの周囲にはめ込まれ、光を柔らかく通している。床は寄せ木細工、壁はクリーム色の卵漆喰。窓は分銅による上げ下げ窓、テラスには綺麗な模様の古いタイルが少し残っている。
応接間にはマホガニーの手すりのついた階段と大きなステンドグラスもある。2階は居住スペース。特別保護区の森を借景にできるテラスもある。2階には 和室もあるが、障子の外に狭い縁側を設け、外観はあくまで洋館である。和魂洋才という言葉があるが、日本の職人さんが丁寧に洋風建築を作った心意気が感じられる。昭和の初めに実業家が建てて、戦後進駐軍にしばらく接収され、その後画家の家だったとのこと。成城にも数少ない貴重な洋風の近代建築である。
華美ではないが、質素でもない、実用的だが機能一辺倒でもない、これが住む人のセンスだなあ。としみじみしながら帰宅する。さて、あんなお屋敷とは比べる気もおきないが、我が家も年末年始に向けて、玄関周りの掃除と生け垣の手入れをしなくては。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」