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小閑記
それだから、神の安息に入るべき約束が、まだ存続しているにもかかわらず、万一にも、はいりそこなう者を、あなた方の中から出すことがないように、注意しようではないか。
~ヘブル4:1~
今年の残りも、この月のみになりました。時は変わり、人は変わっても変わらないものに心を向けて、主の2018年を迎える備えをしましょう。
神様のお言葉の中には、二つの強い対照の上に築かれているように見えても、不思議な調和があります。
一方において、数々の言葉は、完全な救いと、開かれた扉、そして神様めさまが私たち一人、一人を守ってくださるという、確かな約束があります。この神に様から誰も私たちを引き離すことは出来ず、何物も、主イエス・キリストにある神の愛から奪い取ることはできません。
しかし、聖書の他の個所では、私たちの危険は大きいとも教えています。もし私たちが目的に達したいと願うならば、気を配り、祈り、戦い、魂をきよめ、恐れおののいて救いのために労し、成長すること願い求めなければならないということです。
この二つは似ても似つかぬもののですが、ともに真実です。それは、前者は神様に関することであり、後者は私たちに関することだからです。動かせぬもの、確実なもの、決して失敗せぬものは、私たちの救い主であり、父であられる神の内にあります。神と共にあれば、私たちは常に安全ですが、自分たちのことは常に恐れおののいていなければなりません。
常に危険が潜むのは、私たちの心、内側にあります。
「あなたがたの父の許しがなければ、一羽のすずめも地に落ちることはない」。そして、「あなた方は、多くのすずめよりも、まさった者である」。
このように、私たちは神の内にある時、安全であることができます。
「しかし、恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。殺したあとで、更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい」。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」