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今月のことば
しかし、わたしは考えた、「わたしはいたずらに働き、益もなく、むなしく力を費やした。しかもなお、まことにわが正しきは主と共にあり、わが報いはわが神と共にある」と。
~イザヤ49:4~
人は考える葦であるという言葉があります。ことの善悪は別として、何かの行動を起こすとき、「考える」ものです。考えなしに生きることは不可能です。しかし、この「考えること」が問題です。考える可能性を創造主が私たちにお与え下さったのには理由があります。しかし、正直に言えば、考えるということは、私たちの生きる道に障害物になることもあります。
実際に、考えないと同時に、考え過ぎるということもあります。そのために私たちの髪の毛を白髪にしてしまうこともあるでしょう。それは、考えるということは思い煩うということでもあるからです。「わたしは考えた、『わたしはいたずらに働き、益もなく、むなしく力を費やした』」と告白したこの神の人イザヤの魂の上にも、「問い」という病が、広がっているのです。ここでその姿を現しているのは、「思考という誘惑」です。私たちに、自分に課せられた職務を、過剰に疑わしく、見込みのないものと思わせる誘惑です。
その結果、人は、結局一切は無益だということが分かったと思い、あらゆる仕事に、全く適していないと思って、途中で放棄したくなるのです。
「思考という誘惑」が姿を現すのは、人が、自分が間違いなしの無能力者であると思い込むことです。しかし、それに対して神は「腕組みをして、思い深げに問うのはやめなさい。新鮮な気持ちで仕事に就きなさい」と言われます。そうして「もしそれを私が喜んでするなら、私は報いられる。たとえそれを喜んでできなくても、その職務は、私に命じられている、ということなのです。
2017年を振り返る時、「費やすことができた」とするなら、なんと素晴らしいことでしょう。
「正しきは主と共にあり、わが報いはわが神と共にある」、という神の約束を信じ2018年を迎えたいものです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」