[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
今月のことば
8日が過ぎ、割礼をほどこす時となったので、受胎のまえに御使が告げたとおり、幼な子をイエスと名づけた。
~ルカ2:21~
私たちは誰一人例外なく、新しい2018年を迎えました。しかし、誰一人この年に何が起こるか予測する人はおりません。明白なことは一つあります。それは、私たちが受けた遺産は、罪と悲しみ、病いと死とであることを知っていることです。また、自分の身に逆らうものの多くは、この遺産のもたらすものでもあります。これもまた事実です。
今年も私たちは、日々、霊的な面でも、肉体的でも頼りなく気落ちし、病いを負うでしょう。これもまた事実です。
私たちはこの事実・現実を無視したり、無いかのように思うべきではありません。むしろ直視すべきです。しかし、そこには大切なことがあります。それは「主にあって」と言う「最善・大いなる希望」に「あって」ということであります。
神様は、私たちに、あるものに信頼する権利をお与えくださいました。それは、「イエスのみ名を用いる」ことをお許しくださったことです。神様は、そのお許しと約束のゆえに、その「み名のゆえに」結ばれた祝福を果たしてくださいます。その約束の中には、光と希望に満ちた未来がありました。この「み名」の中に、私たちの罪の許しがありました。この「み名」によって求める必要を、お教えくださいました。
「であろう~」ではなく、「ました」なのです。この約束に生きるとき、言い得ない勇気が与えられます。
若い皆さん、キリストを捜し、知ってください。人生をあきらめないでください。一人ではないのです。キリストに聞いてください。あなたの隣に誰かはいるのです。
仕事が人生などと言わないでください。家庭や家族があります。もっともっと輝く働きや日々があります。
もう長く生きた、疲れたと諦めないでください。最後の最後まで、あなたはあなたらしく歩み、終わろうではありませんか。「主にあって」!!
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」