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世田谷通信(173)
猫草
昨年末、高校時代の同級生と偶然再会した。卒業以来30数年ぶり。近所の集会所で「世田谷の歴史と緑」みたいな講演会を聴きに行ったら「講師の先生」が同級生だったのだ。なぜ分かったかと言うと彼が「世田谷の花はサギソウ、私の高校校歌にも出てきます・・。」と一節を口ずさんだのだ。それで「おや?もしかして同窓。」と思いあたったのだから歌の力、恐るべし。
講演後、旧姓を名乗ったら向こうは覚えていた。そして立て続けに当時の先生や級友の名前を言われた。「うわー、懐かしい!」とその場は話を合わせたが、実は全然思い出せない。そもそも覚えていない。トンチンカンな状況になるのが目に見えているので同窓会にこれまで出たことがない。学生時代、新しいクラス全員の名前と顔を一致させるのにどれほど苦労したことか。教室を間違えてしばらく気がつかず座っていた事すらある。クラスと集合写真を確認してから登校し、1年かけて覚えた頃にまたクラス替え。いつも相手に「分かってないことがバレませんように」と願いつつ話していた。再会した方とは、あろうことか同じ部活、中学・高校が一緒だったそうな。私は卒業アルバムを見ても感慨はなく、きれいさっぱり他人事である。
動植物やその他の暗記はすぐにできるのだが、人名と顔は極端に苦手。そんなわけで今の小学校800人を超える児童が在籍しているのだが、名前を覚えているのは一人だけ。その子は図書室の隣のクラスで、授業中しょっちゅう図書室で本を読んでいるからだ。もちろんそんな勝手が許される訳ではない。でも彼は少し集団になじみにくく、感情のコントロールが難しいのだ。それゆえ先生公認で図書室をクールダウンの場にしている。放置ではなく、私も「新しい本入ったよ、面白いよ」と声をかけるし、先生方や支援員の人もいる。
全ての児童が教室で一斉授業に適応できるわけではない。保健室やカウンセリングルームや少人数教室、図書室などいろんな場所が受け皿になって、その子にとって心地よい場所で見守ればいいのだと思う。かく言う私も毎年ほぼ見知らぬ40人とクラスメイトという集団にされて1日の大半の行動を共にし、芽生えたことにされる「絆」「友情」がひどく苦痛だった。できれば私も図書室で過ごしたかった。
小学生の彼が図書室の棚の間で好きな本に熱中して過ごしているのを、ちょっと羨ましく、また微笑ましく眺めている。
*写真は「サギソウ」
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」