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小閑記
そして、わたしたちの主また救い主イエス・キリストの恵みと知識とにおいて、ますます豊かになりなさい。
~第二ペテロ3:18~
キリスト者の願いは、成長することです。それは富み栄えることでないことは明らかです。神様から求められている成長は、神様から生み出されたのですから、霊的成長であることは明白です。ですから、私たち信仰が与えられている者は、日々の生活の中にそれが現れてこなければなりません。信仰の思いも、善き働き、業においても成長しなければなりません。善き業において貧しければ、信仰も貧しいと気付くべきです。
キリスト者が最も用心しなければならないことは、キリスト者としての霊的成長を阻み、止めてしまう生き方に無意識に、あるいは怠惰と惰性の生き方に陥ってしまうことです。喜びのない聖書知識を蓄える時、人はそれを信仰の成長と思い込み、「傲慢」という重い病に罹ってしまうという危険もあります。「何時も目を覚ましていなさい」「謙遜でありなさい」というお言葉は、信仰者にとって、心すべきことです。
「ますます豊かになりなさい」とは、霊的に謙虚でありなさいということでもありましょう。
「知識」において「ますます豊かになりなさい」とは、どういうことでしょうか。今から後の時代は、AIの活用は生活を豊かにするでしょう。人間の知識よりもAI の情報量の方が多くなることは確かです。しかし、神様がお求めになっている「知識」は「己に死ぬ知識」「己を虚しくする知恵と信仰の霊的知識」のことです。そのお手本は、私たちの主イエス・キリストです。このキリストを見失った「知識や知恵」は、自分の性質を見せつけ、心の深いところの堕落、汚れ、醜さを見ることは出来ません。偽り、装うのです。
「謙虚に心低くする知識の人」こそ、霊的成長であるのですから、それを乞い求めたいものです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」